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ノートの端っこ

 
 難病患者を支える団体の事務所で、Nさんは4年前から、事務経理を担当するパート職員として働いている。「Nちゃん、お疲れー!」「Nさん、最近どがんですか」。そう声をかけて、Nさんとの「おしゃべり」を楽しみ、慕う患者も多い。

 採用が決まった当時、Nさんより先に勤めていたスタッフはいずれも当事者として相談業務にあたっていた。Nさんは約1年間は事務経理だけを担ってきたが、相談件数の増加などで業務量が増えてきたことから、「力になりたい」と思うように。研修会などに参加し、2人をサポートする形で相談も受けるようになっていた。

 Nさんは難病があるわけでも、その家族でもない。有資格者として勤務するわけではない。私はそのことが少し、気になっていた。どのように仕事と向き合っているのか、聞いてみたかった。

 昨年末、忘年会をした後、Nさんを含めて少人数で話をする機会があった。そのとき思い切って、「仕事、楽しいですか」と尋ねてみた。Nさんは少し、戸惑った表情で、答えてくれた。「どうだろう。この仕事、向いていないから……」

 「こんなこと言ったら、怒られてしまうこと、分かっているんだけどね」。そう前置きして、続けた。「いっそ、私も難病になれたらいいのに、と思うことがあるんです。そしたら、相談にくる患者さんの切実な気持ちを、もっとくみ取れるんじゃないかって」

 Nさんは、相談にくる患者の必死さと、自分の体験・思いがかけ離れてしまっていて、「困っていること」を見過ごしてしまっているのではないか、という不安をいつも持っている。他のスタッフ2人が、そうして思いを受け止めている姿を目の当たりにしていることもある。「『私もそうでした』って共有できることが、私にはできないからね」。そう言って声を落とした。

 当事者からしたら、「ふざけるな」と憤慨したくなるような意見だろう。なりたくて病気になったわけではない。完治したいと誰もが願う。それなのに、病気になってもいない健康な人が言うのは、あまりに馬鹿にしている――。

 そういうそしりを受けるだろうことを覚悟の上だが、私はNさんのこの言葉に、強く共感した。私も何度も、同じ言葉を頭の中で繰り返していたからだ。

 入社以来、いろんな人との出会いから、私は障害・病気など福祉の取材をするようになったが、そもそも入社時の志望は「スポーツ記者」だ。障害者や難病患者と密接に暮らしてきたわけでも、福祉のことを学んできたわけでもない。目の前で語ってくれる切実な声を、きちんと受け止めることができているのか、いつも不安で、自信もなかった。悔しかった。「お前に何が分かる」「知ったかぶるな」と言われ、白い目を向けられているような気もしていた。

 それでも、記事を書いてしまう。書きたくなってしまう。「理解もしてないくせに、食いものにしている」「良い人ぶっている」。実際に浴びせられた批判は、あながち的外れでもないだけに、深く、突き刺さっていた。

 もちろん、「患者」になったとしても、他人の苦しみのすべてが「分かる」わけではない。そう理屈で考えてもなお、後ろめたさがぬぐえなかった。Nさんの悩みは、私の中にある不安が鏡に映し出されたかのように感じていた。

 Nさんの嘆きに、その場にいた女性患者は、こう応えた。「Nちゃんが普通だからいいんだよ。いつも、困ったり悩んだりしていることを話したいわけではない。なんてことはない話をしたくて、ここに来ているんだよ」。別の男性患者は「おれはNさんいなかったら、そうそう行かないかもね」といたずらっぽく笑った。

 そうなのかもしれない、とも感じた。Nさんが医師や看護師、保健師といった「肩書」がなしで対等に患者たちと関わっているからこそ、会いにくる人がいるのだと思う。

 最近私は、多くの患者との出会い、それ以外のさまざまな体験を味わい、記者として、「事情を知らない他者」であることをより、意識するようになった。分かろうとか共感しようとか、むやみに思わないようにして、「分からない」ことを徹底しよう、と。「溝」は厳然とある。この仕事をする限りつきまとう。でも、それと正面から向き合った上で取り組むことも、悪いことではないかもしれない。Nさんの姿を見て、そう感じるようにもなった。

 「今も辞めたいな、って気持ちはあるんです」。迷いを抱えながらも、Nさんは強い意志も見せる。「でもね、困っている患者さんたちを助けたいから。純粋に、ただ、力になりたい、って。専門的なことはできません。でも、家族のことや近所のこと、おしゃべりの相手としてだけでも、少しだけ楽しい時間を一緒に過ごすことだけでも……役に立てたらいいな、って思っています」
 
 

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蒔田備憲

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