はじめまして。
この度連載を書かせて頂けることになりました、ふみです。
これからよろしくお願いします。
簡単に自己紹介させてくださいね。
私はこの春から新社会人になった24歳で、これまでは大学で6年間薬の勉強をしてました。パッと見は健常者と違いはありませんが、実は一級障害者です。
生まれながら脊椎が二つに分かれていて、それが原因で腎臓がうまく働いてくれません。腎不全が劇的によくなる治療は今のところないので、なるべく悪くならないように、そーっとそーっと中年オジサマ並の高血圧と貧血などの合併症に気をつけながら生きていきたわけであります。
今まではこそっと病院に行きつつ、健常な方と変わらないふりを24年間がんばってきましたが、去年の12月に もうあかん! と体が悲鳴をあげまして、今は2日に1回透析をしながら生活をしている次第です。
今後は透析を続けるか、移植を受けるしか、生きる道がないので、なかなかピンチでありますが、家族、友達にも恵まれ、毎日楽しく生きてます。
へぼへぼの拙い文になると思いますが、今まで思ってきたことなどをなるべくわかりやすい言葉で伝えられる様、がんばりたいと思います。
私自身は小さい頃から文を書く仕事にあこがれてたので、こんなステキな機会を与えていただき、ワクワクきらきらした気分です。
今回は、最近になって強く思っていることを書きます。
それは、
わたしは1人で生きているんじゃない
ってことです。
「そんなこと今ごろ気付いたか」って思われるかもしれません。
しかし、ある程度大きくなって、1人で出来ることが多くなるに連れて
独りで生きている
と思い込んでました。情けないことに本当に最近まで。
独りで 辛い辛い と夜泣くのがずっと日課でした。
それこそ、去年の12月に倒れるまで毎日毎日毎日、体が悲鳴を出す現実に泣いて、それを我慢するために泣いて、死神に連れて行かれるのを怖れて泣いて。
何で私独りだけ。何で。何で。 我慢。我慢。 って。
12月に体が悲鳴をあげて、出来ないことも出てきました。
長い間椅子に座れば、足がむくんで痛い上に、動かなくなる。立っていれば立っているで、貧血で冷や汗。いつ倒れるか、気がきじゃない。(結局ベスポジは未だ不明。寝てても動悸がやかましいし、はて。困る。) [ベスポジ=ベストポジション]
新しく増えた手術跡。針を刺された穴だらけの左手。病院メインの生活。
嫌なことをあげたらキリがないけれど、入院してから気付けたこともありました。
それは 独りでは生きれないってこと。
色んな人に生かされてどうにか生きているってこと。
お母さんやお父さんや弟、大事な人、友達、病院の人たち・・・。
みんながいなきゃ、本当に私生きていけないんだなー。と思いました。特に家族ね。
そんでもって、人に生かされているうちは一生懸命生きなきゃダメだなって思いました。死にたいぐらい辛かったり痛かったりがあってもね、死にたいとか思っちゃったら生かしてくれてる人たちに申し訳ないと思ったんです、それぐらいわたしの周りはいい人ばっかりなんですよ。うしし。
病気だって健常者の人には味わえない体験だと思って。それに、病気持ってる人たちは体が弱い分、心がハンパじゃなく強く出来ていると信じているのです。ホントにダメだったら、全部病気のせいにしちゃえばいいんです。最強の言い訳です。
だから、頑張ってくださいよ、わたしも。
そうね、頑張ります、わたし。
とは言え、新社会人の4月。既にちょっと辛い。汗。
でも私には、難病という最終手段として最強の言い訳を持っているからね。
がんばりますよ。
生かされてる から 生きている へ。どうにか近づける日が来るように。