平成25年12月13日、難病患者の医療費助成の負担についての最終案が厚生労働省から発表されました。それについて、Facebookでひとりごちていた私に、誰かがささやくのです。
「ぜんぜんついていけない… あのー、また、よろしくお願いします。」
…いや、私、ただの田舎の弁護士だし、国会傍聴してる人とか、議員さんにヒアリングしてもらってる人とかの方が、生々しいことを書けるのでゎ…?と思いつつ、お願いされたら断らない方針の事務所に勤めていることもあり(関係ない)、よろしくお願いされてみます。
これから書くことは、あくまでも私が尼崎から眺めていた限りでのことです。おそらく患者たちの最前線は、それこそ血で血を洗うような激闘だったと思います。
本稿は、「結局どういう制度になるのか」「これから考えなければならないことはどういうことか」を中心にお話します。
編注:
今回の青木さんの記事は、前編・後編にわけて掲載します。
前編
10月29日案(素案)の問題点
後編
最終案の内容
今後の課題
10月29日案(素案)の問題点
前回のおさらいです。
平成25年10月18日に、難病患者の医療費助成制度の負担案について、とんでもない負担増の案が発表されました。あまりにもあまりだろう、という患者たちの反発に対し、10月29日、ちょっと値引きされた修正案が発表されたわけです。この日、大野更紗さんらが厚生労働省の中で記者会見を開いた時の様子は、だっこさんの原稿(「おはなし・その5」)に詳しいのでそちらをご覧くださいね。
10月29日に1回記者会見を開いたくらいで負担増の案が撤回されるほど世の中も、厚労省も甘くはありません。そこから、全国の患者たちが東京に押しかけ、厚生労働省、各政党に詰めかけて、この案では何が困るのかについて必死の訴えを続けました。
ところで、10月29日案(「難病対策の改革に向けた取り組みについて(素案)」。詳細は厚労省HP(こちら)を。以下「素案」)の何が問題だったのか、ここで整理してみましょう。
この制度が今後永く抱え続けるであろう問題点も知っていただくため、あえて素案の問題点をじっくりめにご説明します。
1. 対象疾患指定の基準〜病名で支援を区切らないで!
報道で、「難病の対象疾患、300へ拡大!」と言われていることからもわかる通り、「だれの医療費を助けるか」は、「病名」を指定する方法で決まります。
また、「どんな病気を指定するか」についても、すでにその考え方は示されています。
i 患者の人数が少ないこと(だいたい人口の0.1%未満)
ii 原因がわからん
iii 効果的な治療法がはっきりわからん
iv 先の見えない生活の苦労
この4つの条件を全部クリアーする病気で、今まで厚労省が何らかの形で研究事業をたちあげたことがある病気を数えると、だいたい300くらいになる、ということです。
ここで「ん?」と思った人はセンスのいい人です。
そう、なぜ、医療費が重いか軽いかと関係のない「i 患者の人数が少ないこと」という条件が入っているのでしょうか。
これは、「難病対策制度はなんのための制度か」というところと深く関わります。
難病対策制度は、そもそもは「患者数が少なくて、ほっといたら採算取れないので誰も治療方法の研究なんかしないよ」という病気に集中的にお金を投入し、国がはたをふって治療方法の研究を進めるための制度なのです。
ただ、研究をしようにも、肝心の患者が「いや、医療費重いし、医者に通えないよ…」となってしまうと、治療効果の確認もできません。また、医療費負担が患者の社会参加の壁になることは誰が見てもわかるので、対象疾患は医療費を助けましょう、という制度です。
ですから、対象疾患は、まず「国が主導して研究しないとイカンもの」、つまり「患者の人数が少ない病気」に限ることになるわけです。また、「どの病気の研究をするのか」を示すためには、病名で対象を選ぶしかありません。
そういう説明されると、「ああ、なるほどなぁ」と思うでしょう。
ただ、この考え方で医療費を助ける人を選んでいるかぎり、「患者の人数が少ないこと」ははずせない条件になってしまうので、「医療費の重い負担が生涯続く病気」のすべてをこの制度で助けることはできません。
ここが、難病患者間で「タニマー」、つまり医療費が重いにもかかわらず、まったく国の助けを得られない「医療費助成制度のタニマに陥る患者」が発生してしまう「根っこ」です。
これを解決するためには、「治療方法の研究の体制を作るための法律(制度)」と、「患者の経済的負担を軽減し、社会参加をすすめる福祉のための法律(制度)」を分けて設計しなければどうしようもありません。
ここをきちんと分けられたら、「高い医療費が半永久的にかかる病気をもれなく助成する方法ってどんな方法?」ということを、患者の人数を気にすることなく、全力で考えることもできるようになります。また、「どの病気が治療方法の研究の光が当たっていないんだろう」という目で、研究しなきゃならない病気を全力で探すこともできるわけです。
この2つの目的を1つの制度でゲットしようとしてしまっているので、「二兎追うものは一兎をも得ず」っぽい感じになる結果、「患者はそこそこいるけど、効果的な治療方法が見つかっていないので、半永久的に高い医療費とお付き合い」という病気には、いつまでたっても助けが来ないのです。
難病対策制度を0から見なおしてせっかく法律にするいい機会なのだから、このこんがらがった状態を解きほぐして、整理してから法律にすればよかったのですが、なんやかんや、いろいろあって、この考え方自体はそのまま残ることになっています。
2. 自己負担額
この点は前回の原稿でもさんざんお話しましたので、詳しくはそちら(「難病患者の医療費負担案」)をご覧ください。
何度でも言いますが、一生支払い続けるには、どの所得階層にとっても重い!
とにかく重い!
3. 重症度分類
また、厚労省は一貫して、「対象として選んだ病気の全部にある基準(重症度分類)を作って、その基準よりも重い患者」だけを助成する、と言ってきました。
この重症度分類がどういう基準になるのかは、まだよくわかりません。仮になんかの検査値を基準にするのだとすれば。それが、医療費の負担と直接リンクしてくるのかどうかは定かではありません。
私の病気(下垂体機能低下症)で言うと、たとえば「成長ホルモン」の分泌が足りないので、これを補う薬を毎日投与する必要があります。私の場合、ほとんど分泌されていないので、ほぼ100%薬で補う必要がありますが、人によって「多少は分泌されている」という人もいるかもしれません。検査値の上では私のほうが重症、ということになりますが、私も、「多少は分泌されている」人も、使う薬は同じですし、金額は高いです。そりゃあ使用量は違うでしょうが、そうは言っても1本の薬価が何万円もするような薬ですから、少々使用量がちがっても、「家計への負担が重いわ!」という意味ではそんなに変わりません。
このように、なにをもって「重症」と考えるのかがよくわからない以上、そんな基準を導入されては困るわけです。
だいたい、軽いうちから手当して、軽い状態を保っておいたほうが、薬をたくさん使わなくて住むんだから、国家財政的にも「軽い」でしょうよ、と思うのですけどね〜。難病にかかってるのに放ったらかして「重症化する」ということは、本人が辛いのはもちろん、かかるお金もぽーんと伸びる・・・傾向があるわけです。
しかも、ただでさえ、「病名」という、医療費負担と関係のない要素で支援を区切られている患者が、またさらに医療費助成の必要度と関係ない要素を持ちだされ、勝手に「軽症」と判断されて分断されることになります。
4. とっても重症な患者へ負担発生
今の制度である特定疾患には、病気により生活するのにもむっちゃ苦労している患者の場合、所得にかかわらず医療費は自分のおサイフから出さんでよろしい、という取り扱いがされていました。だいたい「身体障害者手帳1・2級相当」とされていることが多いようですが、もっとも典型的な例が、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの筋・神経系疾患で、人工呼吸器を使用して寝たきりで生活している人です。
こうした人々は、医療費だけではなく、介助に要する費用や、保険外の医療費介助用品などで、保険適用されている医療費をどけても、すでに毎月10万円を超える費用がかかっていることが多いです。そこをせめて医療費だけは、と無償化されていたのです。
しかし、素案は、世帯の収入に応じて(=ご本人が稼いでいなくても自己負担が発生する)、他の患者同様、前回の記事の最後に紹介した表に基づき、毎月医療費を負担してください、ということになっていました。
(いや、人工呼吸器ユーザー普通に死ぬでしょ、あの金額…)
5. 収入認定
障害のある人にしても同じですが、本当なら、その人の生活に必要な費用(福祉サービスの利用料とか、医療費とか)の自己負担額を決める根拠になる「収入」は、利用者本人の「収入」だけのはずです。だって、その人が利用するわけですから。
さて、この点、今の特定疾患制度は、自己負担を決めるときの「所得」は、「一家の大黒柱(制度上の呼び方は「生計中心者」)」1人の収入に基づいていました。仮に患者本人と配偶者とで共働きをしている場合は、収入の多い方1人の年収を基準として医療費の自己負担額を決定していたわけです。
ところが素案は、これを家族全員の世帯収入を基準に自己負担額を決めるとしていました。つまり、その人の負担は、まず家族の中で負担してね、ということを意味します。これがいま流行りの、家族内での「自助」ってやつです。
実際、世帯を基準とすると、共働きをしている場合は、今まで片方だけの年収を基準としていたのに、夫婦の年収を合計されてしまうわけですから、「お、高収入だね♪」となり、特定疾患よりも収入の階層が上がってしまう、すると、自己負担もそれにつられて上がってしまうことになります。
6. 小児慢性特定疾患の成人移行(いわゆるトランジション)
今回の改革は、子どもの難病(小児慢性特定疾患、略して「小慢」)についても同じの方向で進められてきました。つまり、対象の病気を80程度増やす代わりに、自己負担額は、おとなの難病についての素案の半額にする、というものです。
この案につき、子どもの医療費助成として負担が大きすぎるという点では、(2)と同じ問題をはらんでいます。
さらに、従来から「子どもの頃は指定された病気だから医療費助けてもらえるけれど、おとなになった瞬間に助成対象から外れて3割きっかり請求されてびっくりした!」という問題が指摘されていました。これを、成人移行の問題(俗に「トランジション問題」と呼んでいます。)といいます。
これは、(現在の)小慢の対象疾患数が514個であるのに対し、おとなの指定疾患が56個しかないために発生する問題です。
私も経験しましたが、「私自身の症状は変わっていないのになぜ急にこんなに金がかかるのか」と、本当に平等ってなんだっけ?という気持ちにさせてくれます。さらに、親にしてみれば、「今は自分たちでがんばって育てているけれど、おとなになったら、この子は3割負担の医療費をまかないながら健康に生きていけるのだろうか」という不安が常につきまといます。
人によりますが、病気であるというだけで働く際には必ずと言っていいほど差別を受けますし、病気そのもののせいで他の者と同様のはたらきをすることが難しい場合もあります。どうしたって平均的に収入は普通の健康な人よりも少なくならざるを得ないのに、障害年金もほとんどもらえない状態の中、果たして3割の医療費を払いながら天寿をまっとうできるのか、というのは強烈な不安材料です。
小慢と特定疾患を根こそぎ改革するのであれば、この点は真っ先に取り組まれてしかるべきレベルの問題点でした。
素案の中では、おとなの対象疾患が56から300超へ増えるので、成人した際にこぼれる病気の数は減ったかもしれません。しかし、小慢も対象疾患が増えて600程度になると言われており、単純計算で、成人する際に半分の疾患では対象から外れることになります。また、成人時に外れてしまうことに対する手当ては、素案の中に見ることはできませんでした。
7. 医療費助成の制度上の位置づけ・権利性
弁護士として、いつも障害者総合支援法や障害者基本法を使って、「重度障害者に対する介助を利用できる時間をもっと支給してよ〜」という事件を扱っている身としては、実はここが「素案」最大の問題点であるように見えました。が、あまりこの点を指摘している人がいないので、最後に遠慮がちに、こっそり指摘しておきます。
障害者基本法にも、障害者総合支援法にも、そしてこれから制定されるであろう難病対策新法にも、かならず第1条あたりにその法律が何のために作られたのかを示す「目的」規定が置かれます。
たとえば、障害者総合支援法の場合、第1条(目的)の中には
・・・障害者及び障害児が基本的人権を享有する個人としての尊厳にふさわしい日常生活又は社会生活を営むことができるよう・・・
と、ちゃんと書いてあります。
この「基本的人権を享有する個人としての尊厳を保障する」という一言があることによって、障害者福祉のシステムは、「障害児・者それぞれの基本的人権の尊重」を視点として取り組まなければならない、という方向付けがされます。
生活保護法には「日本国憲法25条に規定する理念に基づき・・・」と書いてありますし、国民年金法1条にも「日本国憲法25条2項に規定する理念に基づき・・・」とありますし、情報公開法1条にも、「国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により・・・」などなど、国に対して何らかの行動を求める「権利」がある場合は、だいたいの法律でちゃんと第1条で「そういう権利を保障するための法律である」と書いてあるのです。
ところが、難病対策関係で厚生労働省から出てくる文書を見ていると、「患者の基本的人権を保障する制度である」ということは一言も確認されていません。
「患者が医療費助成を国に対して請求する権利」とか、「患者の基本的人権を保障するための法律」としては組み立てられていません。
仮に今後、医療費助成などにおいて現場レベルで妙な運用がされた場合、患者からきちんとした医療費助成を請求できるとは言い切れないことになってしまい、たとえば障害者にとっての介助サービスや、生活保護法によける各種扶助のように、裁判で求めることも性質上やりづらいなぁ、という感じがします。
後編につづく