新・医療費負担制度への願い
~ 福祉はいつまで恩恵なのか? ~
「このままでは、私が、生きていけないので・・・難病当事者の生活を、知って下さい。」
ベストセラー作家の大野更紗さんが、目の前で、記者さんにそう話さなければならない図は、簡潔に言えば、悪夢だった。
FBにコミュニティ「難病の人は、生きていけない-新・医療費負担案を知って下さい-」が立ち上がったのは10月21日、私が見たのは翌日の22日、今日が29日だから、超猛スピードで、大野さんを代表とする<タニマーによる制度の谷間をなくす会>の緊急会見が開かれたことになる。場所は厚生労働省記者クラブ。
とにかく、10月22日迄。
私は少なからず日本にはまだ希望があるという気でいた。
現行の56疾患から、国が難治性の疾患と認めてくれる疾患が300に広がれば、まだ難病に指定されていないがために、医療も、リハビリも、生活支援事業なども高額な自己負担になり、必要な医療すら満足に受けられていない方々の身体的な状況、生活状況は改善するだろう。それまでならば、
「この人工呼吸器も、胃瘻も、薬代も、いつまで、一生続くんだろう・・・家族に負担をかけないように、私なんかいないほうが・・・」
と思い詰めていたかもしれない、何千人、何万人の人が、人間として、心に希望を見ることができるだろうと思っていた。
ところが、難病対策委員会に参加していた大野さんによれば、これまで32回もやってきた同委員会の33回目(10月18日のことです)にして、イキナリ、
「特定疾患をこれまでの56疾患から300(案)に広げる代わりに、これまでは世帯所得により月々0円~11、550円(外来の場合。)、どんなにかかっても年額最大13万8600円だった患者さんの世帯の医療費の自己負担額を、世帯所得によって四段階に分け、月々0円~4万4400円、年額最大53万2800円にしますけれどもそれでいいですか?」
という案が、国から上がったというのである。
しかもそれを、来月末。11月末日までに決めたい方針であると言う。
顎が外れるような気持である。・・・もう外れたのかもしれない・・・。
私個人の家計の話をすれば、エッセイなどにも書いていて、隠していないから書くと、生活保護の受給世帯だから、では明日から医療費4万4000円ですということにはならない。が、これは、じゃあいいや、と、傍観して良い話ではない。(と思う。)
障害種別がどうのとか、誰さんの障害名は何で誰さんは違うからどうだよねとか、そういう個人的な話ではなくて。
人として。・・・ ・・・と、「国作り」の問題として。
年額最大53万2800円を被る世帯が、年収幾らの世帯かというと、370万円~の世帯。これ、障害者本人のみの収入ではなく、「世帯」なのであり、二十歳以上の難病当事者が在宅で生活している家が丸被りする。
難病を持つ子供のいる世帯にはその半額。私のように、生まれつきの難病の子供達だって、沢山いる。赤ちゃんにまで課した。また、大学へ進学したくとも、今回の医療費の負担増案で諦める子も多く出るだろう。そのことにも、大きな怒りを覚える。
また、20歳の難病患者が在宅で生活している人を見てみよう。
370万円を12か月で割るとひと月30万円の収入がある家。つまり、お父さんが月15万円、お母さんが月15万円でも、お父さんが25万でお母さんが5万でも、内訳はともかく、およそ、ごく一般的な職業の、20代~40代くらいの、若い世代のお父さんとお母さんの家に、難病を持つ子が一人(とか、兄弟もとか)の家庭が、大打撃を受けるのである。(ちなみに収入は手取りじゃないけどそのことにも案は一切触れてない。)
もしかしたら、中には、
「これまでは自分の病気が難病指定になっていなかったから、年額の医療自己負担200万円位だったけど、53万2800円になるんだったらすごく安くなってありがたいわ」
という人も、稀にいるのか、それはまだわからない。
けれど、何よりも見なければならないことは、
「年額13万8600円(月額1万1550円)だったら、なんとか、ぎりぎり、生活のどこかを切り詰めれば医療費が払えたけれど、年額53万2800円(月額4万4000円)は、マジで払えないから、息子よ、娘よ、人工呼吸器を止めてくれ」
という家が仮に出た場合の惨事である。
現に過去、2006年に障害者自立支援法が施行された時には、施行直前の3月
「介護費用が一か月3万円の自己負担になったら、うちはもう介護費を払えない」と、家族介護を行っていた50代の母親が思い詰めて、27歳の娘の首を電気コードで絞めて殺すという事件が実際に起きている。
・・・それとも、新案を提案した人達は、難病を持つ子供達が、私達が、死ぬことを望んでいるのだろうか。
どうなの?
例えばご自身の家族や親せきに難病当事者がいるような国会議員さんがもしもいたら、本当に話したい。本当に。誰にでも会いに行くから。
難病を持つ子供達、そして私達は、日本の時代のいったいいつからいつまで、急な国の決定の度に怯え、時に命を脅かされ、人によっては実際に奪われ、親子心中や自死を本当は死にたくないのに選ばされ、
「私達が生きていることを知って下さい。私達の生活を知って下さい。私達を生かして下さい、お願いです」
と、メディアの前で「お願い」しなければ生きて在らせてもらえないのか。
私達は
「生かしておいてやっている」
とこの国の政治経済を司るすべての人から思われる存在で居続けなくてはならないのか、
この国にお金が無いのは、私や、要支援者が生きているせいなのか、
いつから?いつまで?
この国の社会福祉は恩恵なのか。
もし、目の前にふたりの子供がいたとして、私は、障害を持つ子も、持たない子も、どちらもが幸せに生きられる社会が、日本の社会であればいいと思う。
障害のない子は、学校に行けて、部活ができて、人によっては塾にも行けて、お母さんやお父さんと買い物に行ったり、お出かけできる。友達とも遊べる。
でも、障害のある子は「医療費や介護費が高いから、生活のどこかを削らなきゃ」と、お父さんも、お母さんも、誰よりもその子供自身もがいつも考えて心を痛め、学校へ行くこと、学ぶこと、出かけること、友達と交流を持つこと・・・それらに本来であれば使えるお金を、医療費や介護費用に充てて「医療や介護に係るお金がもう少し少なかったらできたかもしれないこと」を、我慢して、我慢して、我慢している。
こういう風に、あまりにも大きく差が出てくる世の中は、これが未来なら、嫌だなあと思う。
だれだって、そして誰の家の暮らしぶりにだって、もちろん生活の中で節約したり、選べなかったり、切り捨てなきゃいけないことはある。100のうち100叶うっていうことはむつかしいこともある。
でも、それが何がしかのやりたいことだったり夢だったりしたとしても「医療費」って、文字通り「生命の維持」に必要なお金で。
ここ切ったら死んじゃうんだよ。
「生活」にすら、いってないんだ。
命、なの。
それがどうしてもどうしても生きる為に必要な子供(もちろん大人もね)に対して、あまりにも支払うのが大変なようなお金が、自己負担で課せられる社会っていうのは、これは、<社会>なんですか。
おかしいよ。
でも、今日の大野さん達の緊急記者会見だってそうだし、わたしたちは、今、国を作ってる。みんなで。
「これが決まったら難病を持つ子が死んじゃうかもしれない!!」
ということには反対の声を上げるし、
「こんな法案があったら、難病のある子もない子もみんなが暮らしやすくなるね。みんなが、元気が出てくるね!生きるのが楽しくなるねd(・v・)b」
という法案や、新しいアイデアがあったら、どんどん、地方行政にも、国会議員さんにも、伝えてゆくように、努力をする。動く。
そういうふうに、国を作ってる。
だからね、
難病医療費負担の新案は「・・・この今見ている、これは悪夢か・・・」と、本当に、思ったけれども、まだ、私達は、絶望はしない。悲観しての自殺もしないし、抗議の切腹も少なくとも今日はまだしない。
だって、今日、ここで絶望をしてしまうには、質量が釣り合わないだけの、素晴らしい人生を、私達は個々歩いてきたはずだから。
私達の人生のまわりには、家族がいて、介助ヘルパーさんがいて、友達がいて、仕事仲間がいて、ボランティアがいて、お医者さんがいて、看護師さんがいて、行政の方々がいて、恩師がいて、人それぞれに、恋人がいたり、夫や妻が居たり、子供がいたり、今日みたいにマスメディアの人がいたり、自慢じゃないけど、一人で生きるのが困難な人のそばには、一人でおよそのことができちゃう障害のない人の、もしかしたら何倍、何十倍の、素敵な人々がいるんだぜ?
そして、難病や障害が重ければ重い人ほど、誰が欠けても生きてはいない人生を歩んできたんだぜ?(^▽^)♪♪
私は、こんなに素敵な人生はないと思ってきたんだ。
きっと、難病当事者の中に、私ひとりじゃないと思うんだ、こういう風に、考えてきた人は。
この国に生まれて、生きて、沢山の人の中で自分も生かされてきたことに、誇りを持って、幸せを感じてきた難病当事者の人生を、この2013年に再び
「呼吸器や、胃瘻や、投薬の医療費が払えないから心中しましょう」
という未来図によってもう奪わないでください。
大野さんと表現は多少違うかもしれませんが同じことを願いながら言います。
私達を生かしてください。
どうかお願いします。
誰に言えばいい?
安部総理?
そしてこれを読んで下さった皆様へ。
2013.10.29 ではまた次回!
だっこさんからの補足編:おはなしその5.5 は「こちら」
青木さんが厚生労働省案をわかりやすく説明してくれている記事もあります。> 「難病患者の医療費負担案」