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映画 「少年と自転車」

 
シリーズ: シネマとフクシ(1)
「少年と自転車」
監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
 
 

■ ヨーロッパの謎、「ダルデンヌ兄弟」

2011年、第64回カンヌ国際映画祭の、グランプリ受賞作品である(どーん)。

ダルデンヌ兄弟、と言えばカンヌ、カンヌと言えばダルデンヌ兄弟。
泣く子も黙る「ヨーロッパの至宝」とまで言われる映画監督(2人で1人)だ。
「兄弟」で映画をゼロから構想し、脚本も2人で書く。

兄弟で、なんだかんだ1970年代から世界の映画界の最前線を突っ走っている。
はて一体どうやって作っているのか、、、。
意見が対立したりすることは当然あるのだろうが、いかにして兄弟間で折り合いをつけているのかは、欧州映画界の最大の謎だ。

■「社会派」のスーパースター

ダルデンヌ兄弟は、ベルギーのブルーカラーの街、工業地帯であるリエージュで生まれ育った。
時は1950年代(兄のジャン=ピエール氏は1951年、弟のリュック氏は1954年生まれ)、リエージュでは労働争議が華やかりし時代の空気を吸った。
若いころは、原発で働いたこともあるらしい。首都ブリュッセルに上京し、はじめのころは、大都市整備が進んでゆくなかで、その矛盾とともに取り残されてゆく団地住まいの都市労働者のドキュメンタリーを撮っていた。

以降、今日に至るまで、第一線の「社会派」として新作を撮り続けてきた。
近年は特に、ベルギー社会の最底辺を生きる「子ども」や「女性」に向き合い、キャメラを回す。

各作品の舞台は、映画として描くことは難しい場所ばかりである。
刑務所から社会へ出てゆく職業訓練所、わが子を「売って」しまうあまりに若いカップル、東欧から移民してきてベルギー国籍を取得するため偽装結婚する若い女性、、、。

ダルデンヌ兄弟のキャメラは静かに優しく、ゆえにつつみかくさず、彼らを見守る。

■ 舞台は、児童養護施設

「少年と自転車」は、父親が養育を放棄して児童養護施設(ホーム)に預けられた11歳の少年が主人公だ。
主人公シリルが、施設からダッシュで脱走して「パパ」を探すシーンからはじまる。

観てほしくて書いている文章であるから、この映画のあらすじをたどることは本意ではない。
映画としていかにすごいか、は冒頭5秒ですぐにわかる。

シリル役のトマ・ドレ君の演技は、演技であることをまったく観る者に感じさせない。こんなに小さな子どもが、演技を感じさせない演技をすることに、まったくもって感嘆するよりほかにない。シリルが、自分をすてたはずの「パパ」を探しに走ると、観ているわたしも心臓がバクバクする、心拍数があがる。
「パパ」が自分をホームに預けた理由もわからず、ただ不安に満ちる気持ちを、画面を通じて追体験する。

ひょんなことからサマンサという女性が、シリルの「日曜だけの里親」になる。
サマンサはシリルの親族でもなく、なんの縁もなかった「赤の他人」だが、「日曜だけ里親になって」とシリルに走って追いかけられて「告白」されて、そのまま「日曜だけの里親」をひきうける。
サマンサとシリルの関係はとても不思議で、単純に保護者と子ども、という感じでもない。

「里親」という制度が、ヨーロッパの一般社会でどのように受容されているのかについて考えるうえでも、興味深い映画だ。
ベルギーの児童養護と里親制度に詳しくはないが、ショートステイ的な、かなり柔軟な運用がなされていることが伺える。

■「日本」で聞いた話をもとに作った作品

当然のことだが、シリルは、「いい子」ではない。
彼をとりまく他の子どもたちも、大人たちも、決して完璧ではない。

シリルという存在を中心にして、各々が自分のエゴをさらけだす。
登場人物に起きることはまるでみな、わがことのように思える。

ダルデンヌ兄弟が、この「少年と自転車」の脚本を考えたきっかけは、映画のプロモーションのために来日した際に聞いた、とある日本の児童養護施設の話なのだという。
日本でたまたま参加した、少年犯罪についてのシンポジウムで、乳幼児期から施設に預けられている少年が、ずっと屋根に登って親の迎えを待ち続けていたという話からイメージを構築していったと、インタビューで監督(2人)は答えている。

「少年と自転車」では、養育を放棄されたとある少年が、いかにして孤立し、犯罪に関わることになってしまうのか、悲惨な目にあうことになるのかについても、丁寧にその過程が描かれていく。
何の手も打たず放っておけば、シリルの状況はどんどん悪化していくのだということも、追体験する。

しかし、「少年と自転車」の根底を貫くテーマは、「こんなひどい目にあう子どもが、世の中にいる」ということではない。ダルデンヌ兄弟は卓越した脚本と編集の力によって、観客を巻き込み接近させ、突き放してはまた近寄らせ、翻弄させる。

これは、シリルが自らの運命に抗する物語であるように思う。
スクリーンの中の1人の少年が、世界が閉じていくことに、抗しようとするとき。その瞬間のきらめきに、魅せられる。シリルの孤独なたたかいに、せめて寄り添いたくなる。
 
 
「シネマとフクシ」は…
人類の限界水域をヨロヨロする日々のなか、映画の中に描かれる「フクシ」をご紹介したいという熱情によってのみ綴られる、超不定期連載です(たぶん)。
 
 

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大野更紗

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