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訪問看護 Body & Soul

1.17によせて

 
神戸の震災後、私自身はどうやって癒されてここまできたのだろう?

いろいろな事に苦しんではいたけれど、誰かに何かをしてもらいたいとか、したもらえるなんて事は何も望んでいなかった。むしろ、自分がどう生きるのかを模索するために心はどんなアドバイスをもらうよりも内側向いて、心を閉ざしていたような気がする。

「所詮は他人事」。震災でどんな被害を受けたり、傷ついたりしても、他人がどんな思いやりの深い心で接してくれたりしても、それは当事者であった私にとっては他人事として感じた。具体的な(物資などの)援助は確かにありがたかった。でも、心を癒すためにはそれだけでは私には不十分だったし、かといって、今流行の「心のケア」なんていうものも、とてもじゃないけれども受け入れる気にはなれなかった。東北でもきっと私のような思いをしている方はたくさんいらっしゃるのではないかと思う。

自分の震災で傷つき壊れ果てた心と身体がどうやって、また生きる力や強さを取り戻し、訪問看護師として歩む今の道へと至ったのかという経験を思い出してみたいと思う。

これを読まれた方が、「こんな悲惨な体験をした迷える若者(当時は20代)が、こんな風にして立ち直っていったのか。よし、自分もひとつ頑張ってみるか」などという風に思ってもらえたら(そんなにうまくいくわけがないのだが)と思いながら書いている。とりとめも無い自分の経験話なのでうまくまとまるかどうかもわからない。でも、少なくとも私みたいに「自分の経験や感じていることを語る事で誰かを支えたい」と思っている人がいるんだということが伝われば(自己満足かもしれないが)それで十分かもしれない。
 
 
震災の後、身体と心を壊した私はずっと「死にたい」という思いに取り付かれていた。「死にたい」という思いにとりつかれると、だんだん正常な感覚がナイフで削がれるように、すり削られていく。自分も周りも気がつかないうちに、その人を取り巻く世界がだんだん闇に包まれて行く。少しずつだから、気がつかない。しかし、まるで死神に取り付かれたように「死ぬ事」しか考えてられなくなるのだ。

私はクリスチャンで「自殺」は最大の罪の一つ。頭ではわかっているけれども、心は引き裂かれていた。どうしていいか、職場にも家族にも友人にも誰にも理解されない思いを抱えて聖書を読み続けていた。いや、正確にはみんな、私を理解しようと、懸命に助けていてくれていたのだと思う。でもその時の私には、誰の思いやりすらも受け入れる余裕がなかったのだと思う。少なくとも自分は誰にも理解されない、そうかたくなな思いに取り付かれていたのだと思う。

そして悩み、苦しみ、心の中でのたうち回って、神様から与えられた答えは、現実から逃れる究極の一人旅に出る事だった。

逃げること、そして一人でもいいから理解者がいることは、絶望を抱え、生きることを断念しようとしている者には絶対に必要だ。私には理解者はいなかったが、幸いにもキリスト教信仰が自尊心をカバーしてくれた。そしてラッキーなことに仕事を辞めて旅行に出れる環境も無理をすれば何とか造ることも出来た。すべて運である。ワタシ的に表現すれば神様の恵みだった。

実はそのとき、私は英語が話せたわけではなかった。でも、なんとかなると直感があった。自分にはちょっとした特技があって、外国人患者さんと会話すると、すぐにその国の言葉をおぼえてしまい、その国の言葉でなんとなくコミュニケーションできたのだ。読み書きは苦手で、高校の時の英語の成績は10段階のうちの2で落第ギリギリだった。でも、きっとすぐに英語も話せるような気がしていた、実際に渡航してみてその直感は的中した。そういうある種の不思議な特技は多かれ少なかれ、誰でもなにかしら持っているものなのだと思う。

ニュージーランドに3ヶ月滞在し、観光ビザが切れるとシンガポールを拠点に東南アジアをさまよった。親切な人たちにたくさん出会った。彼らのうちの何人かは家に見知らぬ私を泊めて、もてなしてくれた。現地の人たちはみんな英語で私に話しかけてくれた。そして、ほとんど話せなかった英語もずっと話しかけられているうちに慣れて、それなりになんとかなるようになった。

この旅の中で私は何度も新しく生まれ変わる体験をした。そしてその中でも一番印象に残ったのがイバン族と一緒に過ごした時間。

東マレーシア、ボルネオの山間民族「イバン族」は今もジャングルの中で昔ながらのロングハウス(長屋)で農耕や狩りをしながら生活している。私が彼らを訪れたのは20代後半、震災の次の年だった。

小さな長細いボートでジャングルの中の川を上って行った。ボートに乗る前に地元の英語ガイドは私に「泳げるか?」と聞いた。私は「大丈夫」と答えたが「念のためにコレ付けて」とライフジャケットを渡された。そして私達は小さなエンジンのついた長細いボートに乗り込み、イバン族の住むロングハウスへと向かった。イバン族の18歳の女の子、ガイド以外で唯一英語を話せるのが彼女で乳飲み子を抱えていた。私が滞在したのは16年前。イバン族の若い彼女の言葉が忘れられない。

「 私は一生ここにいて(旅行へ行く事もなく)死ぬまでここで暮らすの。
 だってここで生まれたんだもの 」

赤子を抱えてくったくのない笑顔で私を歓迎し、英語で話しかけてくれた。

刺激を求める生活が必ずしも人を幸せにするのではないと、若さを持て余していた自分には開眼だった。彼女の言葉は私の心に深く深く突き刺さった。「旅に出たいとか、他の世界を見たいとは思わないの?」という私からの質問に彼女は答えた。

「 なぜ、そんなことをするのか、貴方の言っている事がわからない 」

と彼女は答えた。何故?こんなジャングルの中で、一生暮らすの?他の世界を見たいとは思わないの?夢は無いの?自分はいったい何のために産まれてきたのかとか、そういった思いはわいてこないの?彼女の答えは「?」だった。「あなたの言っている事がわからない」。

そうなのだ、ここにはいわゆる「自分探し」や「生きがい」、そして「生きる意味や目的」などの概念自体が無いのだ。過酷な自然との戦いの中で子孫を残し、寿命を全うする、自然を享受して、生まれきたことに感謝して生きること、本能がちゃんと教えてくれているままに皆、天に生かされるままに生きているのだ。

人間というのは自分を癒してくれる物を無意識のうちに選択して、自分の周りに置こうとするものだと思う。自分を癒してくれるものって何だろう・・・・。 温かいもの・・・美しいもの・・・愉快なもの? でも、それだけではないような気がする。でもここでは「心の癒し」のような概念も存在しない。なぜなら、ここではそんなものは必要ではないからだ。

その時はわからなかった。しかし、今考えると私はあの旅で癒され、あの旅の経験から人生が変わっているのがよくわかる。それはその時には決して、わからなかったけれども、年月を経るごとに振り返ればあの時から自分の道が「あるべき方向」へ導かれシフトしているのがよくわかる。今だからわかるのだ。

今日は神戸の震災、「1.17」。あの日から17年目を迎えた。17年の月日が、あの震災と被災を機転に私は変わった。「死にたい」という心の叫び。その死神にとりつかれた思いを振り払うために貯金を全部トラベラーズチケットに換えて旅に出たあの震災後。そしてイバン族の女の子との出会い。我に返って「自分の心の赴くまま」に生きることにパラダイムシフトできたこと。

とにかく数えきれない出来事が私を変えた。それも劇的に変わったのではなくグラデーションを描きながら、優しく少しづつ。そして導かれるままに、心がそう望むままに、看護大学へ進学し在宅医療に専門的に携わるようになっていった。今、私はまた「訪問看護認定看護師」の入り口に立っている。この4月から「認定看護師」への新しいチャレンジが始まる。

神戸の元被災者として、思うこと。復興とは元に戻ることではない。元になんか戻れはしない。「自分自身や地域が自立して推進していく力が沸いてくるその状態」こそが、復興であり、支援者はそれをサポートするものでなければならない。
 
 
自分にとって、震災から17年という年月が意味するものは何だろう。

今はすでに廃墟さながらを思わせる父の経営していた店舗。震災で仮店舗を自宅改装したが3年前脳出血で倒れもう仕事はできない父。復興を目指して立ち上げた自宅を改装した店舗は3年前から時間が止まってしまった。それから、震災当時、仮設住宅のボランティアのリーダーだった父の親友は去年癌で他界した。

否応無しに時の流れに引きずられて皆老い病み、ある人は生き伸び、またある人は亡くなられていく。しかし、いつの時代もそうであったように、新しい世代、新しい命が育まれ、つながっていく。

高齢化・地方の過疎化と震災復興の関係は切り離せない。17年前の神戸の時よりずっと高齢化社会は進んだし、一般的に考えて東北は高齢者の割合も高い。しかも被害は神戸に比べさらに深刻だ。復興はこれからも難航する。だからこそ、もっと日本全体が関心を向けるべきなのはいうまでもないこと。

そして、17年の月日、あの神戸の震災。自らの被災と、医療者として被災者支援に明け暮れた毎日を機転に私は変わり、すべてのことが私を成長させてくれた。今から17年後に東北の被災者の方々が私と同じように呟けることを、そんな日が来ることを心から願う。本当に心の底から。
 
 
復興復興というけれど、神戸も私たち一家も元に戻ったわけではない。東北の被災者の方々も元には決して戻れないのだ。

そう、私達は、ただ前に進むしかないのである。時々後ろを振り返り、涙しながらも、前に前にと、時の流れに押し出されながら生きて行くのだ。
 
 
 

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原田三奈子

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