ごあいさつ 『わたし』のはなし 『フクシ』のはなし 見えない障害バッジ みんなのひろば 編集室

Café du dacco

おはなしその1

~ とにかく、諦めたくはないのだ ~

 皆様はじめまして。朝霧 裕と申します。歌唄いです。モノ書きです。他プロフィールはプロフィールをご参照のこと、しばしの間「わたしのはなし」を執筆させていただくことになりました。宜しくお願い申し上げます。
 
 今までの自分の中の常識が一旦は零に戻った昨年と今年。『命あること』のかけがえのなさ、誰へ告げよう、と思いながら日々を生きている。

 人は生きる上でさまざま節目を心の中に刻むものだが、東日本大震災という自らの意志に関わらず突如刻まれた大きな節目。

今これを読んでいるあなたは、どんな想いで2011年3月11日以降の日々を過ごしているのだろうか。

わたしのフクシ。のテーマである「見えない障害の可視化」。思えば、疾患の内容に限らず、一人の人間について「Aさんはおよそこのような人物である」と相手を認識しようとするとき、むしろ視覚から認識できる以外<ほとんどのこと>は、見えていない。「障害=目に見える症状」がすべてであるはずがない。「人間=外見」がすべてではないのと同様である。

障害とは何か。障害の周囲を<取り巻いているもの>とは何か。障害理解とは何か。差別とは何か。考え続ける先に見えるものは、時には個人の、時には集団心理としての、さまざまな表情、心、立ち現れる人間の姿。

 私は身体障害を背負って人間に生まれた。ゆえに付随する「電動車いす」というアイコンは、周囲から見て、わかりやすい、街で困っていても助けてもらいやすい、注目もされやすい、放つ声も通りやすい、と私自身考えてきた部分もある。

しかし、「いす」には私の「心の内」は正確には反映されていなくて、『車いすの人はおよそこういう事で困るのであろう』『障害当事者の人はおよそこういう生活であろう』と、単純な外見や「いす」から入る障害理解となってしまい、個人同士で相対して、お互いが「わかった!」と手を叩きあえるほどの相互理解の瞬間というものを、制度を含む、介助・介護、障害理解の分野で障害当事者とそのオーディエンスが共に体験するのは中々難しいことではないかと思っている。

少なくとも時間がかかる。

 「いす」ではなくて「人」を見てくれと望むとき、「車いす=周囲から見てわかりやすい障害事例」という事例はひっくり返る。

 誰が何を考えていて世に訴えていきたいか。

誰がどんなことで困難を抱えているか、100人いれば100通りの事例がある。そして、だからこそ、フクシを他人事でなく、自分の頭で考えてゆくことは面白い。

 そもそも、そこに二人の人間がいるとしたら、どんなに親しい友人同士であったとしても、生活スタイル、起床・就寝、食事やトイレの時間や回数、趣味・嗜好、職業、宗教や信条、経済基盤、交友関係、生活目標や愛するもの、それらはすべてと言っていいほどに違う。

『障害者の生活とはおよそこういうものだろう』という自分の中のイメージをまず一旦すべて捨ててほしい。それが、私があえて「わたしのはなし」を通じて読者の方へ伝えたい事柄である。

 人は全員が違う。けれども、だから面白い。

差異を前提にしているからこそ、何かの共通項をお互いの価値観に見つければ嬉しく、新たな出会いは新鮮で楽しく、他者を愛することもできる。

『差異』こそが、というか、差異を楽しむ心こそが、ある種の生きる醍醐味ではないか、と思う。

そしてまた、差異の認識の際に生じる私たちのさまざまな心。誰かと誰かが思い合う心。誰かが誰かを傷付ける心……。

 この世でただひとりの誰か。お互いが、全員がそうなのだから、解りにくい。時間も要る。でも伝えたい。それらの声がつながりあって、次の世をより素敵な日々へ、変えてゆくさまを私は見たい。
 
とにかく、諦めたくはないのだ。
 
 冒頭に書いた震災の日。私は池袋駅にいた。

駅構内のエレベーター全停止の中を、その日の女性介助者1名と、数名の駅員に助けられながら逃げた。余震も揺れに揺れる中を、

「車いすの方やご高齢の方を先に避難通路から出しますから。安心してください。大丈夫ですからね。ついてきてください!今助けを呼びますから、すぐに戻ってきますからね」と声をかけながら、繰り返しの階段を、この重い電動車いすを担ぎあげて外へ出してくださった駅員の方々。寒空の中、先が見えないほどの長蛇の列の間に、バスの順番を譲ってくださった見知らぬ婦人。公園に避難した後

「玄関でもいいから屋根の下へだけ入れて下さい」

と、尋ねた先のホテルで、お姫様だっこで階段を抱え上げて、避難所として調整して下さった部屋に入れて下さったホテル従業員の方々。

あの日、介助者と手を取り合って逃げた体験、

池袋駅でちょうどいた駅のホーム屋根がビシっと音を立ててしなり、

「死ぬのか……」と血の気が引いた瞬間の気持ち。個人の意思ではどうしようもないことが身に降りかかることがあるのだ、というリアルな経験値と、それでも、有事中の有事の瞬間にさえ、自分では腕一本、足一本動かせない私の事を、見捨てず、助けようと動いてくださった方々がいたこと……。

「一生忘れない。」

障害者・健常者なんて今更すべて関係ない。一生忘れない、と言える体験を日本中の人々が共有したこと。

これを活かし、公にものを書いてゆくということは、「表面的なフクシ」では、外見で見えやすいところだけ、上面だけをつるんと撫でたような言葉では、まったく本当には届かないということを自覚して言葉を綴ることではないかと思っている。

 私はこのカラダであり心からものを書いてゆくわけだけれど、

『障害当事者として』と、文中に便宜上書いたとしても、『障害者』という<人間の種類>がいるわけじゃない。

障害者も健常者も、100人いれば100通り。敬愛する金子みすずさんの詩ではないけど『みんな違ってみんないい』という視点から、人として思うことを書いてゆこうと思う。

 大震災でも生きながらえた命。けれども、関東大震災が4年以内とも言われる今。

障害者だからではなくて、有限の命の時間に対する心の中の感覚が、だれにとっても大きく変わった歴史の節目が、去年と今年という新しい<時代>ではないか。
 
 この時代を生きる人間として、今日ここに生かされている命を「無駄にしたくない」という視点にいつも立って、色々なことを書いてゆこうと思う。

また皆様からのご質問等いただけたらできる限り連載に反映させます。

 半年間、どうかよろしくお願い致します。

2012年2月7日
朝霧 裕

 
 

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