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Café du dacco

おはなしその4

~ 生きる場づくりを続けるのだ☆ ~

 
わたしのフクシ。第3回目からまた半年経ってしまいました!ごめんなさい!!
連載たった12回くらい予定が何年で終わるんだこれでは?!
本当にごめんなさいね、くまくん!

前回のエッセイを書いた時は、タイミングが、ダウン症を中心とするこどもたちの新型出生前診断が国内の医療施設10施設で施行されると決定したすぐあとだった。
そして、尊厳死法案の動きを、推し進めたい人、反対したい人、その議論がやっと世に大きくクローズアップされはじめてすぐの執筆だった。

生まれる命も。
死にゆく命も。
難病や障害があっても、なくても。

どの人も、ありのままのその人の姿で、支えたり、支えられたりしながら、暮らせる社会が未来だといいな、と思う。

「と思う」と書くだけで『場』を見せないのは歯がゆくて、これまで「こういう感じが、未来だといいな」と自分が感じられる場や時間を、コンサートや講演、特に自主公演のコンサートについては発信してこられたと思う。

「あ。そうか。既存の社会はこうだけど、これからはこういう風でもいいんだな」

と思える何かきっかけを。介護福祉という分野にも、バリアフリーという語彙に対しても、自分が居ることで何かを生みたくて、

「今ここに私達がただ姿を見せてやってみるから、その結果で心が繋がれたら、一緒に、生きるほうへ行こう」

と、ただ、やってきたような気がする。書くことと、マイクを持って歌うこと。

「だれかが客席から見ていてくれればいい」というよりも、
「だれかが、この歩みに、自分の好きな時に加わり、楽しく、共進をしてくれればいいな」と、長い間、願いながら書いたり歌ったりしてきた。

この気の持ちようのベースは、震災以降に急に考えがそうなったのではなく、執筆と歌を生きる道にしようと決めてから、ずっとそうであったと思う。

でも、何を書いて何をやっても、エッセイを書いたり、コンサートを企画すれば、

「障害者は自分じゃ何も生産できないくせに人様の税金で生きているんだから、そもそも存在が社会の迷惑なんだよ」
「障害児を産めば医療費だってかかるんだから、障害児は生まないほうが合理的なんだよ」

と意見が来たり、コンサートにも

「ひとつの駅に車いすの人があんまり来られても他の人も困るんじゃない?」

と意見を頂いたりする。そしてそのたびに、これらの意見の背景にはどんな個人の生活や心の状態があるのかを、少しでも感じ取りたい、と思う。

「朝霧 裕」になって思う。
この国で崩壊しているのは本当に経済だろうか。

いや、それも窮地なのは自分の生活の範囲でも感じ取ることはできる。
でも、それだけだろうか。

たとえば、たった今これを読んでいる、健常者であるあなたが、車いすを使ったり、寝たきりのおじいさん、おばあさんになった時、この日本国内で、人として大切にされて生きられる場がどれほどあるだろうか。

それはもちろん「ある」だろうし、ヘルパー制度がなかった昔と今は、きっと数、質ともに違うだろう。
でもそれでも、全国的に見れば誰にも知られていないような私の書くものやコンサートにさえ、嬉しいものから驚くものまで色々なご意見があるのだから、たったそれだけを見てさえも

「この国で要介護者になったときには今のままではみんなして生きづらいぞ?」

と、社会全体に対して思うのだ。同時に、障害を持って生まれてきた子が生きる場も、お母さんたちが情報を共有できる場も、ほっと一息お茶をしながらつける場も、『ある、けれど、数はまだとても少ない』のかも知れないな、と思っている。

私が人前に出て歌っているのは、生活状況や心身に起因する生きづらさに向き合いながら今生きているだれかに、それがどこから来るのか、どこに話せば、何を変えれば改善するのかをひも解く第一歩として、「あ。私だって声出していいんだ」と、ただ知っていてほしいからだ。

ぎゅうぎゅうに張りつめた力を抜いて、一切合切すべてのことを一人で具現化しなくても、頼りたいとき、自分の外に他者もいるんだ、と心の隅に知っていてほしいのだ。

 わたしのフクシは「見えない障害」をメインテーマにしているが、「身体障害を持った子どもが、ここに生まれて、ここに一人生きています」という障害当事者、一個人の生きる姿のそのものが、地域社会から一体どのくらい見えて、日頃から「いる」と認識されているだろう。

例えば車いすの子供達が、日頃から通学路にいるか。街のスーパーや、家の近所の「そこら辺」にいるか。養護学校の先生や、介助ヘルパーさんではない、健常者の一般の人々から見て、どれくらい、私達の居る姿は見えているのか。別世界、なのか。気にかかる。

「見えない障害(障害内容が見えない)」という問題の一歩手前、二歩手前に、在宅介護や外出介助に困っていても、地域社会から見て「いること」自体を認識されない、「見えない人間」に陥るなかれという命題がある。それはたとえば寝たきりでも、人工呼吸器の使用などで発声ができなくても、どんなに重い障害を持っていたとしてもだ。

私の思う表現とは、「私はここに生きている」という思いそれ自体を内から外へ、自己から他者へ、発信し続けることである。そうして他者と繋がっていくこと。

「ああそうか。私も、声出していいんだ。」
それを感じられる場を作る。その為に、歌を選んで、旅をする日々だ。
 

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 そんなこんなで、先月今月はライブ月間でございました。

地域の方々にご協力を得ての初企画「響け!いのちのうたコンサート」(6月8日 彩の国さいたま芸術劇場小ホール)では、映画「千と千尋の神隠し」テーマソング歌手・木村弓さんをゲストにお迎えしての共演。
自主公演「古民家かぐやの星祭り2」では、創作舞踊の仲間とも共演。

お客様には、障害のある人もない人も、若者も赤ちゃんも高齢者も、色々な方々がある。コンサート会場のロビーなどで、来て下さった方々同士も言葉を交わし、縁を繋いでゆくのが直に目に見える。

私が子供の頃は、生まれてくる赤ちゃんに障害があると、お医者様が
「残念ですが、お子さんには障害が、、、」
と、頭に「残念、、、」をつけて母親に告げることがふつうとされた。
けれど、今は、そして未来にはきっともっと違うのだと信じたい希望がそこにはある。
障壁(バリア)は壊れつつあって、楽しくなるのは、これからだ。

そんな願いのアイコンとして、私は歌を歌い続ける。
そしてこの「生きる場づくり」に、縁あった方々に、どんどん参画してほしいと思う。

だれもみな『自分の人生』の当事者だ。それぞれの困りごともある。幸せもある。それぞれの当事者同士が繋がり合えれば、
「日常で、生活がもっとこうなればいいのに。本当はこういうふうに生きたいのに」
と、個々が思い描く理想や、現状の少し先にある望みの輪郭が見えてくる。

難病や介護を要する家族を持っていたり、日常下に生きづらさや困難を抱えながら生きているすべての人が、他者から見て「見えない存在」に追い込まれたり陥ることなく、「見える存在」であるように、生きる場づくりを、続けるのだ☆\(・v・)/
(どうぞみなさま、仲間に加わってください☆)
 

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写真提供:三好 祐司

 

2013年7月10日 FROM だっこ

 
 

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