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Café du dacco

おはなしその2

~ とにかく、支え「合い」でいいのだ ~

 
 「なんて時間がかかるのだろう」
 ……いや。私の原稿ではなく(!)

「人と人が、命を尊重し合う社会になるまでに、ほんとうに、なんて時間がかかるのだろう」と思ったら、何も書けなくなってしまった。あれほどの震災で助かった、人間同士、いのち同士が、現代社会で悲鳴を上げ続けている。悲しいニュースばかりに目がふと留まってしまう。

 今年の2月の厚生労働省による発表では、平成22年度に起きた65歳以上の高齢者への虐待件数は1万6764件。調査以来、4年連続増加の一途である。

 私も、入院生活や、常に介助を必要とする日常生活の中で、色々な体験をした。振り向いても、地獄だったと思えるような期間もある。『身体的立場が弱い者に対しての虐待』について、人生のいつか書いて世に問わねばならぬと思っている内容もある。

 しかし、障害は進行を続ける中で、私が一番に書きたいことは何か。一番にやりたいことは何か。常に「一番」の優先順位をつけて日々を生きる。その中で、高齢者や障害者の虐待の増加こと、孤独死の背景に思うことなど、ヘビィな内容が、つい、あとまわしになってしまいがちになる。

 けれどそれは、私は私の「今ここに存在する自分」を生きているからで、他者の誰かに成り代わって「他者の代弁者として語る」ことはできないという思いからでもある。

 今日の今。この時間の使い方を、ただ、心豊かにありたい。

 私たちにできるのは、自分に明日があるか無いか、本当には解らなくても「ある」と信じ、「今日も、明日も、無事に、元気で過ごすことが出来ますように」と、祈りながら日々を往くことなのだから。

 子供のころ、私は極端に体が弱く、肺活量も少なくて酸素テントの中にいたし、風邪をひけばすぐにこじらせて入院ばかり。「死」とはいつでもそばにあるものだった。「死」は、ハッ!と気を許すと目の前1センチの鼻先にあった。

 だから、だれに対しても、「命は大切なんだよ。生きられる時間は、きっと、だれにとっても本当に貴重なんだよ」と、公に書いたり話すときは伝え続けてきた。

 そして、私はそれをたまたま生まれつきの難病があったために知りやすかったけれども、障害のない人たちも含めて、皆がいよいよそれを心底から思い知ったのは去年から。多分、全国的な規模として捉えたらそのように考えて良いだろう。

 東日本大震災。一瞬で、自分のいのちも、愛するもののいのちも、家も、ふるさとも、無い。自然の驚異に、私たちはただ無力だった。

 今、私は、これまで以上に、「死ぬ日だけは自らの意志で選べない」という意識を持って生きている。だから、「生きる日々」の大切ではない日など一日もない。ほんとうにそう思う。

 けれどその一方で、震災があろうがなかろうが、だれかが死のうが死ぬまいが、この世のどこかで行われている、虐待やいじめやそれに起因する自殺や鬱、そして孤独死は、消えることなく増え続けている。

 現代社会の一隅に、追いやられ、苦しみ続ける人々と、その周囲を取り巻く人々の住環境や心理の流れ。どこで、悪い環境の循環を断つこと、変えることができるだろう。
 
 
 私は、過去に、私と介助ヘルパーしかいない私生活の部屋の中において、

「この地獄はあと幾年続くのだろう」

と思う一時期を体験たことのある当事者だ。特に、一過性のものではないイジメや虐待などの問題を含んでいる場合に、解決には、

「わたしはここでこのままで苦しいままで死んでたまるか」

と、全霊で行動をしなければ打破できない。行政や警察などの通報機関、然るべき公的機関のサポートも得なければ、解決に至らない。

 しかし、生きるために介助・介護が必要な障害をもつ本人にとって、私生活の場が、精神的であれ肉体的であれ、「自分を虐待する介助ヘルパーや家族から、自分の身を守ることしか考えることができない場」になってしまったら、これほどに恐ろしいことはない。

まず一睡もできない。あとは推して知るべしである。

 私は、その時期を、当時、どう越えたかというと、10代からの親友が最終的に相談に乗ってくれたこと、両親がまだ健在なので、そのときばかりは本気で助けてくれたこと、介助ヘルパーも全体では複数人いた為に、冷静に状況を判断出来た人がいたことなど、「他者がいた為に助かった」としか言いようがない。そして最後は、

「私は今まで生きてきたんだ、だからこれかも生きてゆく」

という我ながら燃える火のような思いが自分を支えた。
もう少し、他者と、勇気が欠けていたら、と思うと怖い。

 しかし、私生活の範囲で言えば、受難はあったが、それをきっかけに、それまでの難がひとつずつ解決し、まさに「闇から光へ」というくらいの人生の節目になった。しかも、それまでよりも、受難のち以降のほうが、光のまぶしさ、あたたかさは、強い。
 
 
 けれど、「社会全体」としてみれば、昨今、悲しいニュースのいかに多いことだろう。

高齢者や障害者への虐待の増加。孤独死としてニュースに取り上げられる世帯に、要介護の障害者・高齢者のいる率の高さ。

 そもそも、人は自分自身の人生が充実し、心の中が豊かであれば、わざわざ「他者をいじめてやろう」なんてあえて考えないはずなのに、なぜこんな、だれもが心の飢餓に喘いでいるような現代に、どこから、なってしまったのだろう。

 それがどの程度、介護現場の虐待に直結しているかわからないが、医療や福祉現場の極端な薄給やハードワーク、子供がいる女性が安心して働ける環境の少なさ。本来であれば介助を受ける当事者にとって必要な介助時間数の無理な削減など、医療・介護で働く側の、憤懣やるかたなしのともいうべき不満。

無給で無休、ダブルムキュウで家族介護を続ける、当事者家族たちの不満。どちらへ行っても、介護する側も

「助けて!!」

と叫びたいような憤懣とストレスの矛先が、身体的に動けない、要は「逃げられない」障害者や高齢者本人へと向いてしまう。これ以上ない負の連鎖である。

 どうして、どこから、日本に住む一市民としての私たちは、「介護する側、される側」それがもっと悪い方向へいった場合には「虐待する側、される側」……。介護現場をそのように導いてしまったのだろう。

「高齢者の虐待4年連続増加」の事実について、あまりにも悲しく、

「やっぱそれ間違ってるよ」

と、

「NO!!」

と、私は、断固伝えたいのである。
 
 
 思うに、間違ったほうへいってしまう現場には、「合う」という発想が絶対的に欠けているのではないか。

 私は介助を受けているが、私が介助を受けていることで、介助者は介護技術を日々実践で学んでいる。そしてその抱きかかえや着替えやトイレのしかたは、自分の家族が高齢になった時にも、きっと何がしか生かせる。また、私が介助を受けることで、単純に、介助者は給与という飯の糧を得ている。

 私も、介助者が来てくれることで、実家にいて家族介護だけだったときにはできなかった、外出や、表現活動や、自己実現ができている。そしてその体験や日々の想いをまた書いて、世に放つことができる。

 世に放てば、それを誰かが見て、「自分も福祉施設から出て一人暮らしをしてみたい」と望む人が現れる。その読者にも介助が必要だったら、その読者のいる街で、介助者募集をしなければいけないから、新しい地域の雇用が生まれる。

 自分の為と、人の為。すべては、「循環」なのである。

 どちらか一方が必ずしも「支える側」、もう一方が「支えられる側」ということはない。むしろ、要介護者が介護を受けることそのものが、雇用創出それ自体なのだから、要介護者本人は堂々と介助(介護)を受けた上で、

「その不自由な身体に今あるからこそ見えること」

を、どんどん、世の中へ、書いたり、スピーチしたり、その視点からアイデア商品を発明したりして、還し、「循環」させればいい。

 そして、障害当事者は、

「あんたの世話をしてやっている、ああ大変だ、いやになっちゃう」

という考えの人間からの介護を受け続けている場合には、その人物から、離れるべきだ。それが、たとえ家族でも、である。

(介助・介護って、けっしてキレイゴトではないので、たまには双方、愚痴もあるでしょうが、愚痴や弱音の範囲を超える事例だった場合には、長期間その現状に双方が居続けるべきではない。

「そりゃ殺し合いにもなるでしょう」

という現場だって、家庭内の家族だけの介護、居宅の障害当事者とヘルパー1対1の介助、大型の福祉施設での介助、それぞれに事例がある。

介助する側・される側、どちらか一方が状況に対してじっとガマンをしていれば時が解決する、もしくは救世主がやってくる、ということは、介助に関しては、少なくとも私の経験上、ない。)

 理想論かもしれないが、だれだってトシを取れば人生で一回は歩けなくなるか杖をつく。生まれる時と死ぬ時に、他人様に支えられない人はいない……はずだった。それが、

「いや! こんなにいる!!」

と、孤独死、孤独死、孤独死……とニュースになってしまっている、現代社会は、どこかおかしい。

…アイが足りない。支え「合い」の、アイが足りないのだ。
 
 
 私はこれまで

「人に支えられて生きてきました、人に生かされて生きてきました」

と、人前で語ることが多かったが、
これからは、

「私は人と、支え合って生きてきました」

という言葉で語ることにしようと思う。
悲しいニュースを、見るたびにそう思う。

 理想のようにはうまくいかない時期はあったが、それでも、介助者とも、友人達とも、必ずしも「お世話する側・される側」の関係性ではなかった。むしろ、「今この時代をともに生きる仲間」として認識してくれる周囲があるから、今の生活が成り立っている。

 支え合って、生かし合って、生かし生かされ、持ちつ持たれつ、そういう風に、生きてきたのである。

「自分も、この現代社会に生きる限りは、何かポジティブな循環を、社会の中に還元したい」

その夢を持って、生きているのである。
「支え合い」というスピリッツを持って生きていたい。この願いに、障害も健常もない。 
 
 闇の勢力を伸ばしつつある「負の連鎖」を打ち負かすくらい、元気いっぱいの「気の連鎖」を、あらゆる身体、職業、社会的立場を問わない何かの「当事者」よ、伝えてゆこうではないか。

あなたのことをあなたが。私のことを私が。声で。
「気の連鎖」の「気」は、元気の気!!

これが私の、わたしの、フクシ。

ではまた次回!!
(すごく執筆が遅くなりました!読んでくださって、ありがとう!!)
 
 

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