こんにちは!
困ってるズ!編集担当の金子です。
今回は金融機関の一般事務職員のNさんの声をお届けします。
Nさんはどんな困ってるズ!なのか。
是非、耳を傾けてください。
【私はこんな、困ってるズ!】
はじめまして。私は金融機関の一般事務職として働く会社員N(女性)です。
ここ10年位、具合が悪く色々な炎症が続きました。繰り返す40度超の高熱、関節の炎症や突然の筋断裂……。大学病院で2回検査入院(10年前と2年前に3週間ずつ)をしましたが、原因はわかっていません。
現在、炎症は大分落ち着き、1カ月に1回程度通院しています。通院先は、内科の疾病で大学病院2科、発達障害で心療内科クリニックです。今回は発達障害について書かせていただきます。
先日、TBSラジオ『dig』が発達障害の特集をしたときに読まれた私のメールを、一部修正してご紹介します。
私は発達障害当事者(成人ADHD診断済、専門医受診中)の38歳会社員です。診断にたどりついたのは30歳でした。発達障害といっても様々、ADHDといっても様々です。
私はずっと、「皆と同じように出来ない(やらない)のは自分がずるいからだ」と思い続けてきました。親も苦しんできました。
私の場合、雑音処理と意味のない数字が苦手です。例えば、お米を量るときに「1合、2合……」と数えると、興味が続かず何度かやり直しをすることになります。でも「1合」を「一郎、二郎、三郎……」に替えて具体的な人物を思い浮かべながら、口に出して数えると一度で出来ます。
注意力を維持するのが「少し」苦手なのです。
ただ、学業的な面では問題がなく、(テストの時間だけ集中したり)少し頑張れば直ぐ結果が出ていたので、「ちゃんとやればもっと出来るのに」と。
発達障害は、他人からも自分自身でも「見えない障害」です。そして、私にとっては「言えない障害」です。一人一人違うと思うのです。そして「免罪符」にはならない。そんな自分と社会と折り合いをつけなければ……。
【わたしはこんな風に、困ってるズ!】
もう少し詳しくお話します。
● 雑音処理が苦手
例えば社員食堂で、自分のテーブルに8人、前後のテーブルに8人ずつ、合計24人が座っているとき、私には、全員の声がほとんど同じように聞こえてしまいます。同僚と他愛もない会話をするのも、集中しないと聞きわけられません。社員食堂の収容人数は約300人。音であふれかえります。まったく休まりません。(現在は、体調不良もあり、大抵は会議室で、一人で過ごしています。雑音からの「お昼休み」でもあります。)
所属する部署には50人います。勤務中はあらゆる音が絶え間なく耳に入ります。重要な話、どうでもいい雑談、PCの音、コピーの音、FAXの音、電話口の相手の周囲の音、音、音、音、音……職場ですので当然です。でも私は、聞きたい音、聞くべき音にスポットをあてるのが脳の機能的に「少し」苦手なので、いつも集中し続けなければなりません。正直、疲れます。でも、出来なくはないのです。普通の人だと「就業時間中ずっと片手を挙げ続ける」程度の疲れでしょうか。
一歩、家から外に出てスーパーでもどこでも人が多い場所にいるとき、単独行動であれば常に耳栓をしています。通勤時、特に電車では欠かせません。耳栓を忘れ電車に乗ると走行音と車内の音でぐったりしてしまいます。地下鉄だったら……うひゃぁー!
これら雑音処理や意味のない数字が「苦手らしい」と判明したのは33歳。能力検査の一つ「WAIS-3」や診察のお陰です。それまでずっと「雑音が気になるのは、私が神経質で心が狭いからだ。性格が悪いからだ」と思っていました。健康診断の聴力は正常、一緒にいる家族や友達に訊ねても「聞こえるけど別に気にならないよ」と。すぐに疲れてしまうのも「自分の根性が足りないから」だと思っていました。
検査や診察で「苦手」がすべてわかるわけではありません。治ったわけでもありません。具体的な治療法も確立されていません。わかったのは「自分の性格が悪いせいではない」ということ。
● さぼってる!?
幼少期から小学生の頃は、天真爛漫、活発そのもの、生傷の絶えない子供でした。でも授業中に歩きまわることはありませんでした。思春期に入り違和感を覚えるようになります。自分では反抗しているつもりはなかったのですが、教科毎に先生が違うので「好きな先生」と「あまり好きではない先生」の授業で興味の持ち方や態度が全く違っていたようです。
家庭科の課題でマフラーを編むことになったとき、10センチしか編まずに提出した為に成績が五段階評価の「1」になりました。自分でもさすがにビックリ!まあ10センチの長さでは鍋敷きにもならないですね。「課題」なので本来は「やらなければならない」。でも、興味が続かなかった(いま思うと、編目を一郎二郎と数えればよかったのかもしれません……)。
家では突発的にクマの縫いぐるみを徹夜で作ったり、料理も多少していて家庭科自体が嫌いなわけではないので、親や先生からは「さぼっている」と思われていました。ある教師からは「規律の厳しい高校へ入れた方がいいですよ。全寮制等で鍛え直した方がいいんじゃないですか?」と言われました。母は「全寮制に入れるつもりはありません。娘の悪い面ばかりではなく、良い面にも目を向けて欲しいです」と、キッパリ断ってくれたので助かりました(お母さんありがとう!)。もし、苦手な方法で「矯正」を「強制」されていたら……私の心は壊れていたでしょう。
それでも学生の頃は「まだいい」のです。困るのは自分だけですから。
会社に入り、ケアレスミスが続きました。伝票の数字を書き間違える。文書を書き間違える等々……「簡単な事がどうして出来ないのだろう?私は馬鹿なの?皆はもっと真剣に仕事に取り組んでいるのだ。私の意識が足りないんだ。さぼっているんだ。私はずるい人間なんだ」……自分を責める日々が続きました。
幸い先輩や同僚に恵まれ、自分でも四苦八苦しながら工夫を重ね仕事をこなせるようになりましたし、いまは機械化が進み、手書き仕事はほとんど無いので大分楽になりました。それでも常に「不注意」に気をつけ緊張し続けています。平日は会社勤めと通勤だけで疲れきってしまいます。土日は疲れを回復するためひきこもりがちです。遊びに出掛ける余力はほとんどありません(嗚呼!なんと地味な日々)。
● 片付けられない女?
そして、ADHDといえば……
「それって、片づけられない女でしょ?」
はい、おっしゃる通り、幼いころ頃から大・大・大の苦手です。私の場合、学校の机等は大丈夫でしたが自分の部屋は汚かった。酷かった。小学生の家庭訪問では先生に部屋も見せなければならなかったので、前日は泣きながら片づけを試み、最後は大きなビニール袋に詰め押入れに隠す方法で凌いで(?)きました。友達と家で遊ぶときはリビングだけ。部屋には呼べませんでした。「だらしがなさすぎる。◯◯が出来ても、部屋がいっつもこんなに滅茶苦茶で汚くちゃ駄目。何で片づけられないの!」叱られ続けてきました。自分でも本当に酷い部屋だと思っていました。
ADHDと分かった現在は、「きちんと片付かなくても仕方ない」と、ある意味、開き直るようになりました。両親(特に母)も理解し、私を責めることなく協力してくれるので助かっています。自分でも色々と工夫しながら「ほどほどの汚さ」で生活しています。一人暮らしですので「社会生活を送る上での困難」はさほどありません。それでも、ふと、「私は誰かと生活を共にしたり家庭を持ち楽しく暮らすことは出来ないな。ましてや子育ては出来ないだろうなぁ。友達の多くは結婚し子供を育てている年齢なのに申し訳ない。情けない。人として未熟だな……」と思い、時々落ち込みます。女性として家庭人として「一人前の役割」を果たす自信がありません(あ、予定もありません)。
【困ってるズ!になって思うこと】
● ADHDと公表について
ADHDと医師から初めて言われたとき、私の頭に浮かんだ言葉……それは「何でも病気になっちゃうな」でした。診断名を聞いて、安心ではなく戸惑いを覚えました。自分を苦しめてきたことに名前がついたのにそう思ったのです。
ADHDは自分でも理解できない部分がまだ多くあります。いまでも少し困難な事があると、ADHDが原因なのか、単なる甘えなのか迷います。ですから、社会できちんと受け入れられるのは難しいだろうと思っています。
それと、バラエティー番組などで時々取り上げられる「片づけられない女たち」。障害の説明はほんの少しだけで、汚い部屋の映像に会場の「エーッ!」という声を被せるスタイル。ADHDに限らず、障害の一面だけをとりあげて感動や驚き等「愉しむ為に消費する」のは勘弁して欲しいなあと思います。病名を知るきっかけに役立つのかもしれません。ですが、私の場合は障壁になっています。私はADHDを公表する勇気も覚悟もありません。予定もありません。他人には言えません。会社には言えません。言ったところで雑音は消えませんし「片づけられない女」の印象を与えるだけ。ADHDを広く知って欲しいという気持ちがありながら、一方、私自身は準備が出来ていません。ADHDに偏見を持ち差別しているは他ならぬ私なのかもしれません。
● 診察について
心療内科のクリニックは現在3軒目です。1軒目は、検査入院後に自ら探し受診しました。体調不良の原因もみつからず軽い鬱症状があった為です。そこで初めて「あなたはADHDでしょう」と言われました。その先生はADHD専門医ではなかったので鬱症状の治療だけでした。
2軒目も自ら探した成人ADHD専門クリニック。大変混雑しており予約もなかなか出来ない状態だったこと、医師も過労で休みがちだったこと、自分も身体症状が悪化した為に通うのが困難になりました。
現在は3軒目。2回目の検査入院の際、ADHDも併せて診て欲しいと申し出て大学病院と連携しているクリニックを紹介されました。担当は、発達障害専門で成人ADHDも診察出来る医師です。人柄も信頼しています。自宅も勤務先も病院も東京23区内ですので通院に不便はありません。どの病院でも待合室で知り合いに出会ったことはありません。母も何度か診察に付き合ってくれ医師と対話を重ねました。「もっと早く気づいてあげられたらよかったね。辛かったね」と。
私のケースは「かなり恵まれている」と思います。
もし、病院が選べなかったら、病院が遠方だったら、相性の悪い先生だったら、通院の事実を知られたくないのにわかってしまう環境だったら、家族に理解してもらえなかったら……人知れず苦しんでいる人は沢山いると思います。また、発達障害の概念がない国、男尊女卑の激しい国や地域で、「駄目人間」と責められたり、自分自身を責め続けている人が多くいるだろうと思います。かつての日本も、いや、現在もそうでしょう。
【こうなったら、助かるズ!】
私の場合は「雑音処理」で困る事が多いので、何か証明出来るものがあれば助かると思います。その証明があれば資格試験等を静かな部屋で受験できるようになるとか。あとは私語禁止の静かな喫茶店(音楽はOK)があったら、街中でもホッと出来るかなあと思います。(渋谷の名曲喫茶ライオンのドトール版のようなチェーン店があったら最高です♪)
発達障害当事者は、突出した能力を持ちそれを発揮出来る職業に就き十分なサポート(秘書を雇える等)を得られる立場でない限り、いわゆる“一般人の発達障害当事者たち”は、大なり小なり「生きづらさ」を感じ続けなければならないでしょう。
色々な支援制度が出来つつあるようですが、どうか強制ではありませんように。
発達障害の兆候がみられるからと即区別される制度ではありませんように。
一人一人の苦手や得意に「気付くきっかけ」でありますように。
自分を責める人が減りますように。
育て方が悪いのかと苦しむ親が減りますように。
支援制度の名のもとに「差別」されませんように。
自分と社会と折り合いをつけ「自責より工夫」で逞しく生きていける力をつける制度であって欲しいと願います。
最後に、発言の機会をくださった「Synodos×わたしのフクシ。」さん、そして、長々と私の拙い言葉に目を通してくださった皆様に感謝いたします。少しでも何かの「きっかけ」になれたら幸いです。
(了)
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イラスト: こっぺぱん