こんにちは!
困ってるズ!編集担当の金子です。
今回は、わたしのフクシ。「見えない障害バッジチーム」で活動なさっている髙櫻剛史さんの声をお届けします。
髙櫻さんの「困ってること」に、耳を傾けてください。
【私はこんな、困ってるズ!】
1986年1月、私は東京に生を受けました。男3兄弟の末っ子。小さいころは内気な性格でしたが、時間があれば外に出て遊ぶような利発な子供でもありました。年月を重ねるにつれ、家族や人に恵まれたことが人生を育み、伸び伸びとした人生を送ってきました。
「元気印」が取り柄の私にやってきた人生の岐路。20歳を迎えたある日、前ぶれもなく全身に発疹が出るようになり、やむことのない頭痛が始まりました。職場から救急車で運ばれることもありましたが、病院にかかっても原因は見つからず、日に日に異常が常になっていく現実を、ただ不安に思うしかありませんでした。
幾つもの病院へ通院を重ねて2年が経ち、いきついたのが「線維筋痛症」という病気でした。研究が進められている今でさえ、原因や治療法の解明に至っていない病気です。なんといっても痛みが強く、「死んだほうがマシ」と表現されることもあります。感覚が正常でなくなる病気、そんな風に捉えれば解りやすいかもしれません。本人にとっては明らかに健康ではないのに、検査に異常は見られないのが大きな特徴です。
脳神経上で触覚や知覚が痛みに変換されてしまい、全身に痛みが襲います。原因が見当たらないのにどうして?と思うほど多彩な症状をきたし、皮膚・筋肉・骨・神経・内臓にあらゆる種類の痛みを感じます。その性質が患者さんによって異なることが多く、いろいろな痛みが同時に混在していることも特徴的です。
皮膚が火傷をしているような感覚、刃物がさくっと皮膚に入ってくる瞬間のゾワッとする感覚、万力ではさまれているような感覚、筋肉が肉離れを起こしているような感覚。突然、アキレス腱などの健が切れたり、神経をはさみでバチンと切られてしまうような発作的な激痛など、痛みの性質(表現)の全く異なるものが、常に混在しています。感覚の異常は痛みだけにとどまらず、身体に虫がはっているような気味の悪い感覚や、触覚が鈍くなったり、失ってしまうこともあります。
五感がこれほど生きることに直結しているなんて思ってもみなかったので、戸惑うことが沢山ありました。触覚、知覚が正常に働いてくれない今、自分が感じている世界と、記憶で知っている世界はまったくの別物。触れるものすべてが記憶とは違う触り心地だし、この感覚(センサー)に関わってくるすべてが痛みに変換されていくのが怖い。正しく認識できないのであれば、目で見て、思い出や記憶で補っていくしかありませんが、大切な人の肌の柔らかさだって、想像するしかない。これはとても淋しいことです。
音や振動も痛みになるので、自分の心臓の鼓動だって痛い。何かをしていなくても触覚と知覚は働いているので、痛みからは逃げられない。感覚的なこと以外にも、普段から高熱が出ているような重だるさがあるし、非常に疲れやすい。身体の動きをコントロールするのが難しかったり、記憶障害や睡眠障害、他の病気特有の症状が出てしまうなど、説明がむずかしい症状もめずらしくありません。避けようとしても避けられないものばかり。
ここに書いてきたのは私が感じている感覚ですが、ぱっと想像したり理解できる人はそう多くないと思います。自分でも戸惑うことが多かったですし、それは当たり前のことだと思います。そんな日々の中で見つけたイメージに近いもの。ぜひここに書いておきたいなと思っています。
「もののけ姫」という映画をご存知でしょうか。宮崎監督で有名なジブリ作品のひとつですが、この中に出てくる主人公アシタカにかけられた呪い、焼けるような痛みと、時々暴れだしそうになる腕。それを必死に押さえ込もうとするシーンでは、「これだよこれ」って思うんですよね。
説明するのも難しいし、理解してもらえないことばかりなので、こうやって視覚的に説明できるものが見つかったのは小さな喜びでした。もちろん私の場合はアシタカの腕とは違い、外から見ても変わったところはありませんから、家族や友人だって、もがいていた私を知ろうとすること自体が難しかったと思います。一緒に生活していく人には、すごく大切なことなので理解していてほしいと願っていますが、この現状を伝えられたとしても、取り除くことができないのが現実です。
あなたの声が痛い。物音立てないで!歩く振動が痛いから歩かないで!なんて生活、大切な人にはさせられません。大好きだった運動や仕事が出来なくなり、部屋の中で痛みに耐えるしかない日々。この病気を乗り越える方法を必死に考えてきましたが、まずはこの状況で自然体になるために、家族と距離を置いて生活することにしました。一緒にいればそれだけ痛みを増やすだけ。この決断は、支えたいと思ってくれる人には相当辛かったはずです。理解しづらい病気というだけでなく、理解してもどうしようもないという一面が、大きな障害となっています。
【こうなったら、助かるズ!】
元も子もないことばかり書いてきましたが、「こうなればいいな」そう思っていることはもちろんあります。
筋肉を使う動作は辛いので、段差や傾斜はなるべく少ない方がいいです。ですから、公共スペースのバリアフリー化はとても助かると思います。
拡声器を使った宣伝や、お店のBGMはない方がいい。家電も音や振動が小さくなる技術が進んでほしいです。電車やバスに乗るときは、振動が少ないタイプの車両を選んで乗っているのですが、最新型の車両は振動の少ないものが多いので、もっと増えてほしい。身体に優しい車両だという表示もあったら助かると思います。そして、優先席はできれば「優先者専用スペース」であってほしいと私は思っています。座れた方が身体には助かりますが、座れば隣の人に触れてしまうので、私にとっては空間があることの方が大切ですし、重要だからです。
人に触れないように外出するのは、想像以上に難しいことです。シンプルに、社会には障害を抱えている人が大勢いて実際に困っている、という状況を沢山の人に知っていてほしい。
東京に生まれ育った私としては、東京が冷たい街と表現されたり、よけて歩かないと人とぶつかってしまう街と揶揄されることが少し淋しい気もするのですが、そういった現実があるのは確かだと感じています。何度も言うようですが、人に触れないように歩くって、想像するよりもはるかに難しいことなんです。相手の動きを見ながら行動するには、判断力や想像力、もちろん筋力だって使いますからね。よけることも難しい人がいるということを知っていてほしい。
病気が目に見えずに困ることは沢山あるので、見えない障害バッジが社会に受け入れられ、浸透していくこと。それは私にとって大きな希望です。
Twitterから生まれた「見えない障害バッジ」。困っている人の声が集まって、目に見えないというメッセージが込められた透明のリボン。アウェアネス・リボンとして認知され、マタニティマークのように、国の力も加わって世の中に広がってほしい。歩みは始まったばかりですが、需要は少なくないことを肌で感じています。
このバッジがあることで、外に出ることが怖かった人が、散歩に出られるようになるかもしれない。小さくて大きい勇気をもらえるだけでなく、啓発用のバッジを家族や友人がつけてくれるだけで、ちょっとした心の繋がりを生めるかもしれない。私の家族と親友がバッジに興味を持ってくれた時は、シンプルに嬉しかったですし、心強くも感じました。見えない障害バッジは、見えない障害を抱える人の生きる力になれる存在。
病気を抱えたことで、あまりに残酷な痛みに心が折れてしまったこともあるし、一瞬一瞬に命を感じながら懸命に葛藤を続ける日々には、生傷がたえません。けれど、部屋に置いてある葉っぱや雑貨たち、窓の外には自然に営まれる季節の歩み。その恵みの温かさにだって心は笑います。そして、見えない障害バッジのおかげで前よりも生活が楽しくなりました。困ってるズの皆さんにとっても、明るさのきっかけになってくれる存在ではないでしょうか。私はそう感じているし、そう信じています。
(了)
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