ごあいさつ 『わたし』のはなし 『フクシ』のはなし 見えない障害バッジ みんなのひろば 編集室

Nothing about us, without us!

第一回: はじめに

 
2010年4月20日。大阪地方裁判所202号法廷。
障害当事者である原告らと弁護団席、傍聴席、あちこちですすり泣く人々の見守る中、ひとつの和解が成立した。

障害者自立支援法違憲訴訟。

裁判長が順次、和解の内容を確認していく。原告一人一人について読み進められるたびに、すすり泣きが一つ、また一つと増えていった。

「障害者自立支援法は憲法に違反している」と、全国の障害者たちが国を訴えた日から約1年半。憲法違反が論点となる訴訟としては、前代未聞の早さでの決着となった。政権交
代の勢いも手伝い、国は自ら障害者自立支援法を変え、真に障害者の目線に立った、新しい福祉制度を作る、と言ったのである。

そして裁判長は最後に、

「この和解が、原告の皆様にとって実りあるものとなるよう祈念いたします。」

そう言い残し、法廷を後にした。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

・・と、びしっと気合い入れて書いてたら疲れちゃうので(もう?)、ユルめにいくわ〜。くまくんからも「ゆるゆる~って書いてね。そうしないとぼく、お腹がいたくなっちゃうんだ。」ってDMきてたしねー。

さてさて。

この和解成立からさかのぼること約4年。小泉劇場まっただ中の2006年4月、『障害者自立支援法』は生まれました。この法律は、障害者が生活していくときに不可欠な、福祉サービスを提供する法律・・・なんというか、彼らの「命綱」みたいなもの。

ところが2008年10月。

自分たちの命綱は、命綱になっていない!
このままでは人として生きていけない!

そんな悲痛な叫びとともに、全国71人の障害者たちが、全国14か所の地方裁判所で国を訴えたのです。「この法律は、憲法に違反している。」と。
そして、全国約170人の弁護士が、大弁護団を組んでこれに応えました。

考えてみれば、原告の主張は当たり前のこと。「応益負担」なんていう考え方を持ち出されちゃあ、おちおち生きてられません・・・って、こんな話を初回からがっつりしたら絶対寝るやろ・・・ので、また今度。今日は全体の流れをぱーっと押さえて帰ってね。

話を元に戻します。
訴訟が始まって1年後、(なぜかすでに懐かしい感じがする)鳩山政権に政権が交代しましたよね。そしたら国は突然、「障害者自立支援法やめます」と言い出してきたのです。これを受け、2010年1月7日、この訴訟の原告たちは、国との間である「約束」をしました。
その「約束」とは、すごく乱暴に言うと、

「自立支援法を廃止し、障害者ら自らの手で新しい法律を作ること」

この訴訟では、Nothing about us, without us.(私たち抜きに私たちのことを決めないで)をスローガンにして戦ってきました。障害者のニーズは、障害者が一番よく知っているから。それを、この「約束」によって果たすことができたのです。

この大事な大事な約束が、連載中に(多分)イヤというほど出てくる「基本合意」というものです(ここ、テストに出るよ。)。ちなみに、冒頭の裁判所のシーンは、この「基本合意」を、裁判官の前で確認した瞬間。印象的でした。

2010年6月、「基本合意」に基づいて、新しい法律の検討会議がホンマにスタートしました。これを、障害者制度改革推進会議といいます。その中で、(障害者自立支援法に代わる法律の)障害者総合福祉法(仮称)の制度設計を担当したのが、「総合福祉部会」って会議。・・・漢字が多くてゴメンナサイ。もうちょっと辛抱して。

総合福祉部会は、メンバーの半分以上が障害当事者、という画期的なものでした。せちろうさんが「傍聴記」として twitter でつぶやき、こんど「わたしのフクシ。」でも再掲されるのは、この総合福祉部会のことです。

ただこの部会、色々な障害当事者を集めに集めてなんと55人! すると、障害の有無、障害の種別、現在障害者としてサービスの対象になってるかどうかなど、なんかもうめっちゃいろんな人がいるもんだから、一枚岩どころか「 55 枚岩」みたいな感じになってしまったのです。

しかも千載一遇のチャンスだからそれぞれいろんなことを言いはじめてさぁ大変。
一時は、大変過ぎて空中分解するんじゃないかとヒヤヒヤしましたが、2011年8月、紙一重のところで「こんな感じで法律つくってね」という、法律の設計図を作るところまで来ました。この大事な大事な大事な・・・(もうエエ?)設計図を「骨格提言」といいます。ここもテストに出るで。

なぜ完成品(=法律)ではなく設計図(=提言)なのか、というと、中学で習ったように、法律を作るのはあくまで国会。法案化するのは厚生労働省の官僚たち。総合福祉部会は、あくまで官僚たちに「こうしたら?」と提案する組織なのです。今は、骨格提言にちゃんと従った法律ができるかどうかを、原告ほか障害当事者みんなでかたずを飲んで見守っている状態です。

でも、ただ見守るだけでは心配なので、「基本合意とか骨格提言とか破ったらアカンで」というプレッシャーを与え続ける活動をしているわけ。

 今、この時。
  あなたが息をして、
   テレビを見て、
    食事をして、
     懸命に働いて、
      人を愛している
 今、この時、この瞬間。

本当にみんなを支えてくれる法律を願って、障害者たちは一生懸命がんばっています。そして、この法律には、大野さんや、せちろうさんや、ユウタ君など、「見えない障害」を持った人々の将来もかかってます。ぜひ、今後の「障害者総合福祉法」制定の動きを、注意深く監視いただきたく思います。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

ご挨拶が遅れました。
はじめまして、青木志帆と申します。

あのダウンタウンを生み出した、全国に誇る漫才都市尼崎で弁護士をしてます。出身は、与謝野晶子と自転車とひったくりが特産品の堺市です。

私は、「わたしのフクシ。」のサイトの趣旨に共感して、あの訴訟のフォロー連載を執筆しようとしている、とっても親切な弁護士…ではありますが、「見えない障害」の当事者でもあります。ざっくり言うと、元々は頭蓋咽頭腫という小児脳腫瘍、今は間脳下垂体機能障害で、難病認定もらってる状態。依頼者に特定疾患患者が来ると(意外と来る)、異様にテンションの上がる難病弁護士です。夏場はさくっと簡単に熱中症になり、雨が降ったら頭痛とめまいでフラフラしながら法廷でぐったりし…あ、うそです。ちゃんと仕事してます。

この訴訟に関しては、まず司法試験に合格した直後に、一斉提訴の現場に立ち会って、司法修習(1年間)を経て、やっと弁護士になったと思った時には和解することが決まってました。私が弁護士として初めて法廷に入ったのはラスト2の法廷。というわけで、私自身は訴訟に直接は関わっていません(きっぱり)。

しかし、「制度の谷間」の住人である私にとっては、この「和解」と「基本合意」こそがスタートでした。だからこそ、終わるとわかっていた訴訟の弁護団に入れていただき、新しい法律ができていく様子を見守っていようとしたのです。

さて、冒頭の説明では、まだなんのことだかさっぱりわからないでしょう。私に与えられたお役目は、「障害者自立支援法違憲訴訟と基本合意」のフォロー。今、障害者たちが置かれている状態を、一人でも多くの人に「知ってもらう」こと。そこから各自が何を感じ、どう行動するかはおまかせします。これからじっくり、過去、彼らに何があり、なぜ国とケンカをし、和解して今に至っているのか、たどっていくことにしましょう。

(・・・その前に、私に準備期間を少々ください・・・)

カテゴリー: Nothing about us, without us!   パーマリンク

>> お問い合わせはこちら copyright (C) 2011 わたしのフクシ。編集部