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Nothing about us, without us!

最終回: 大切なものは目にみえない

 
1 不気味な沈黙

2011年8月30日、私たちの描く、私たちの設計図である「骨格提言」が完成し、厚生労働省へ提出されました。ここからどうなる予定か、というと、厚生労働省が「骨格提言」を参考にしながら、障害者自立支援法に変わる、「障害者総合福祉法」をつくることになっていたのです。

元原告たちはもちろん、すべての障害当事者は、期待と不安でいっぱいでした。さすがに、「国」の名前で「基本合意」を交わしといて、そこで「自立支援法をや・め・る」っちゅーとんねんから、やめるんはやめるんやろう。だけど、これまでいろいろと期待しては裏切られ、という歴史をくりかえしてきた経験から、「また、国はなにかやらかしてくれるんじゃないか」という不安もあったのです。

この不安を払拭するための「基本合意」でしたし、「和解」でしたが、それでもまだ、元原告たちは不安でした。

他方で、障害当事者たちの手で、「骨格提言」を作り上げたという実績はおおいに私たち自身を奮い立たせました。毎年10月の月末に東京の日比谷野外音楽堂で開催されている全国一斉フォーラム。2011年は、これまでにない規模の参加者が押しかけ、「基本合意と骨格提言に基づいた新法をつくって!」と厚生労働省と国会に呼びかけました。

ここまでは、想定の範囲内でした。

しかし、8月に「骨格提言」を出したにも関わらず、その年の秋になっても、厚生労働省からは物音ひとつ聞こえてきません。本気で骨格提言を混ぜようとしているのなら、「ここ、どうなってんの〜?」「ちょっとムリめやねんけど、こんくらいやったらいける〜?」とかとか聞いてこいよ、っていうか、いつ厚生労働省案が出てくんのかすらわからない状態が長く続きました。ただ、ぽろぽろと耳を疑う単語だけが聞こえてくるようになりました。

障害者自立支援法を「改正」する、と。
 
 
2 国の返事

年が明けて2012年1月、この年の国会が始まりました。この国会に上程される予定の法律案の一覧の中には、

「障害者自立支援法等の一部を改正する法律案(仮称)」

という法律案が含まれていました。

・・・今、あんまりショック受けてない人、怒らないから手を上げて〜。
あ〜、結構いますね〜。

法律を廃止して新たに作りなおすことを「廃止」とか、「新法制定」とかいうのに対し、すでにある法律を手直しするのが「改正」です。つまり、「一部を改正する」ということは、「『障害者自立支援法をやめる』のをやめる」ということです。だって、ちょっと手直しするだけなのですから。

こうして、かすかな「予兆」を察知しては、私たちは直ちに記者会見を開き、ツッコミをいれました・・・が、世の中からも、まして厚労省からも手応えはありません。その後、2月初旬に厚生労働省が作った法案〜障害者自立支援法一部改正案の全貌が明らかにされました。

120頁に渡る一大スペクタクルを築き上げた「骨格提言」という手紙に対し、厚生労働省から出されたのは、わずか4枚の、「返事」でした。

たった4枚で「骨格提言」を拾えるわけもなく、っていうか、ぜんっぜん拾っていませんでした。総合福祉部会長の佐藤久夫教授(日本社会事業大学)が、骨格提言の内容を60項目に分けた上で、じゃあこの「改正法案」がどれだけその要求を満たしているのか、通信簿をつけました。

◯ (不十分ながら骨格提言の内容を取り入れている)、
△ (検討されているが内容が不明確)、
☓ (まったく触れられていない)の3段階評価で、

◯が3つ、△が9つ、☓が48個でした。・・・きれいに留年決定ですね。

ハッキリ言って、この段階の法案では、目新しいことといえば「障害者」の中に一部「難病患者」を入れることになったことだけでした。あとはほとんど変わらないようにしか見えませんでした。
 
 
3 元原告たちの怒り

さて、さかのぼることちょうど2年前、北は北海道から南は福岡まで、全国散り散りの原告たちが、すったもんだ大騒ぎして、あっちこっちに揺れながら、ようやく71人1人残らず基本合意締結にこぎつけた、元原告たち。

基本合意に沿って、私たちの声を聞き入れて、こんな、自分たちの尊厳を傷つけるような法律と手を切れる、最低限そこは守られると信じて、断腸の思いで矛を収めた彼らでした。

しかし、そんな彼らにとって、この4頁がどう見えたか、想像に固くありません。「障害者」範囲に難病が入ろうが入るまいが、もとから「障害者」だった彼らには関係ないことです。

まず一様に「落胆」と「怒り」。あまりの事態に、この「負の感情」をどこへ持って行ったらいいのか、彼らにもわからなかったのだと思います。怒りの矛先は、国にとどまらず弁護団に向かうこともありました。やむをえないことです。だって、国会議事堂に向かってなんぼ叫んだって、警察官がやってきて連れていかれるだけ。それに不十分でもなんでも、答えるのは弁護団しかいなかったのですから。

もう、「障害者福祉」がどうとか、「障害者総合福祉法」とか「骨格提言」とか、そういう難しいことではなく、ただただ「あれだけ苦労して、いろんなもろもろを犠牲にして結んだ『約束』を、ようも簡単にやぶってくれたな!」という、人として当たり前の、「負の感情」でした。

これ以上、一体なにをがんばればいいんですか?

もう一回訴訟して、判決もらって上訴して、最高裁判所が「憲法違反です」って言わないと、何一つ変える気がないということですか?
 
 
4 歴史はくりかえす?

同年3月13日、改正障害者自立支援法案は閣議決定されて国会に上程されました。名称は、「障害者総合支援法」と変更されようとしていましたが、この法律を示す法令番号「平成17年法123号」が消えることはとうとうありませんでした。

この法律の廃止と、新法制定を望んだのは私たちだけではありません。ご覧ください(こちら)。全国で実に13の県、8つの政令指定都市、そして170の市町村が、それぞれの議会で、「基本合意に基づいた新法を作ってください」という意見書を採択し、国に提出しています(2012年4月23日時点)。

もちろん、そういう意見を国に上げてもらうよう、お願いしたのは私たちですが、決めたのは住民の代表である各自治体の議会です。

これだけの人が法の廃止を望んでいたにもかかわらず、厚生労働省は、「名前も変わったし、骨格提言から引いている部分もあるし、これは事実上の改正っすよ。」と言い、民主党は、「いやー、厚労省案はひどかったけど、うちで検討した結果、ずっと骨格提言よりの法律案になったよ。」とドヤ顔。

たしかに、2月に出てきた厚生労働省の第一案ではさすがにマズいと思ったのか、その後の1か月間で、民主党の手により、若干の手直しはありました。その結果、先ほどの佐藤久夫先生の通信簿によりますと、

○が1つ(へ、減ってる・・・)、
△が21個(あ、増えてる)、
×が38個

になりました。さらに一歩進んで具体的にどこをどう直したのか説明し始めると、今まで算数やってたのに、いきなり微分積分の説明をはじめるくらいのジャンプアップなので勘弁して下さい。

しかし、障害者自立支援法を「改正する」ものであるという枠組みは、とうとう最後まで変わりませんでした。

国会での審議が始まると、まずは衆議院の厚生労働委員会で審議され、当然可決。
本会議では、わずか数分の審議で決議に入り、つるっと可決してしまいました。

委員会で審議されてから、本会議で可決するまでの1週間、私たちは入れ替わり立ち代わり、国会の前に詰めかけ、傍聴にも押しかけ、それこそ途中で倒れる者も出る中、まさしく阿鼻叫喚地獄を演じました。

この光景、どこかで見たことがあると思ったら、障害者自立支援法が成立した、あの日にそっくりです。これをもって、「私たち抜きに私たちのことを決め」てはいないと言えるのでしょうか。

まことに、まことに残念でならない。私は。

2012年5月25日現在、この法律が成立するために必要なものは、参議院での可決のみとなりました。現在、審議がストップしているため、私たちはこのすきを狙って、「改正」を阻止すること、少しでも改善した内容にすること、本会議で数分で決議に入ることのないよう、充実した審議をするよう、粘り強く求め続けています。

どうなるにせよ、そう遠くない日に結論が出るはずです。きっと、どちらにしても、その日が来れば、新聞の政治欄の片隅に、小さく載るだけでしょう。

そのささやかな一大事は、どうかこのお話の中ではなく、あなたの目でご確認ください。その後ろに、何百万の叫びが控えていることに思いを致しながら。
 
 
5 一歩外側の世界

2012年5月16日 大阪弁護士会館2階ホール。

ここに、250名を超す障害者などが詰めかけ、国に基本合意と骨格提言を守るよう、訴える集会が開かれました。同じ日、同じ時間帯、東京、広島でも同様の集会が開かれました。

私たち、障害者自立支援法違憲訴訟訴訟団だけではありません。
私たちと同じように基本合意を結び、訴訟を集結させた他の大型訴訟団と一緒に、基本合意をやぶってはならない、と訴えました。ここに、大阪に集まって下さった訴訟団のお名前を挙げましょう。

原爆症認定集団訴訟近畿弁護団
薬害肝炎全国弁護団・訴訟団
ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国弁護団連絡会
全国B型肝炎訴訟弁護団
ノーモア・ミナマタ国賠等請求訴訟近畿弁護団
中国「残留孤児」国家賠償訴訟大阪弁護団
大阪HIV訴訟弁護団
生存権裁判原告団
イレッサ訴訟弁護団

それぞれ、何らかの形で「基本合意」を締結して、裁判を終了させた訴訟ですが、それぞれ約束を何かしらの形で先延ばしにされたり、はしごを外されたりして、大団円を迎えている訴訟団は1つとしてありません。みんな、私たちの無念に共感し、それぞれが「自分たちだけではない、他の分野もこれだけがんばっている」と感じあったのです。

それは、私たち障害者自立支援法訴訟団だけではなく、この時に来てくれた別の訴訟団も同じ気持ちでした。

今まで、それぞれの訴訟団は、それぞれの戦いしかしてきませんでした。
でも、私たちの世界の一歩外側に、同じような目にあっている人たちがいる。そして、国に約束を守らせようとこんなにがんばっている。訴訟団の枠を越えた、今までにない結びつきは、さんざんな目を見てきた訴訟団を少し元気づける「なにか」を予感させました。
 
 
6 「めばえの春」へ

さて、昨年くまくんから突然のオーダーを受け、これまで「障害者自立支援法違憲訴訟」がどういうものであったのか、相当ユルめにお話ししてきました。今回で、時間軸がちょうど「現在」となりましたので、ここでお役御免なのではないかと思っております。

・・・あ、やめてやめて!また空き缶投げるのやめなさい、痛いから!

文句あるなら第1回「はじめに」の下から5行目見てくださいよ。私の役目は、「障害者自立支援法違憲訴訟と基本合意」のフォローだったのですよ、元々。それが、骨格提言とか、そのあとのこととかまでフォローしちゃって、親切にもほどがあるでしょう。

私はなんでそれを伝えなければならなかったのか。

それは、この日のためです。基本合意通りの法律ができるのであれば、障害の有無に関わらず、一人でも多くの人とその喜びをわかちあうため。万が一、国が合意に背く行為をしたとき、その瞬間を一人でも多くの人に目撃しておいてもらうため。
こうして伝えなければ、そのどちらもできなかったでしょう。それほど、この障害者自立支援法は、まことに「どうでもいい」法律でした。

あの日、裁判長は言いました。
「この和解が実りあるものとなるよう祈念いたします。」と。

「実りの秋」が到来したなどと、口が裂けても言えません、絶対に。
でも、これが現実のいまの姿なのです。

もちろん、このままじゃ終われません。

これだけのことをされたのです。怒って当たり前。でも、怒って、怒って・・・その先に何があるのか、考えなければならない。我を忘れてはならない。私たちの期待とか、願いとかは、見事に粉砕されましたが、それでも、なにか、前へ向かってつなげて行かなければ。

ここまで散々あおっておいてナニですが、実は私は、まったく無に帰した、とも思っていないのです。

「基本合意」を結んだことも、「骨格提言」を編みあげたことも、障害者たちの運動にとって、大きな意味があったんじゃないかと思うのです。

現在のところ、お世辞にも反映させられているとは言えません。しかし、「基本合意」に基づき、障害の種別や立場の違う人々が、真面目にこの国の障害者福祉を議論して1つの結論を得た、という経験は、何物にも代えがたいと思っています。それは「凍てつく冬」を越えて、ようやく訪れる「めばえの春」を予感させるのです。

さてこのめばえ、これからどうしていきましょうか。
 
 
7 おわりに

今まで、このお話にお付き合いいただいた皆様、この流れを知って下さってまことにありがとうございます。

この一連のお話を、「そんなの前から知っとったわーい」という方は一体どれほどいらっしゃるでしょうか。そして、「それは大したことないわ」と思われる方も、どれほどいらっしゃるでしょうか。

「かなり大切めの話が、ぜんぜん知らないところで熱く進行してるねんな。」

という感覚をもっていただければ、望外の幸せです。

私のお話はここで終えますが、「障害者自立支援法違憲訴訟」は終わっていません。でも、ここまで私の話におつきあいいただいたあなたなら、もう私がお話しなくても、「障害者自立支援法」を見失うことはないでしょう。

あまり世間の目にとまることのないこの法律が、いつか実りを迎える日まで、何卒注意深く見守っていただきたいと思います。テレビに任せていては、ちっとも見えてはきませんからね。

そう、「大切なものは目にみえない」のです。
 
 

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