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Nothing about us, without us!

番外編: せいどのたにま(下)

 

漢字が多くて、書いてる私の心が折れそうになってきましたけど、この暑い中(これを書いているのは平成24年8月)、みなさまおつきあいいただけているでしょうか。
「下」だけあって、今回が本丸ですので、電解水飲みながらがんばってついてきてください。節電の夏ですが、ちゃんとクーラーつけて読んでくださいね。

 

5 障害者総合支援法の場合

前回お話したのが、制度全体の「理念」について決めた「障害者基本法」。で、今回お話するこっちが、連載本編で取り上げてきた、障害者自立支援法に代わる「改正法」(意地でも「新法」と言わない)である、障害者総合支援法です。

障害者たちにとっての「あしたのせっけいず」である「骨格提言」でも、障害者基本法の定義を基にして、福祉サービスの制度を設計しようとされていました。ところが、先日できあがった障害者総合支援法。こちらによって、具体的に誰に、どのような福祉サービスを提供するかが決まるわけです。
この法律が定める「障害者」は、

身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)・・・並びに治療法の確立していない疾病その他の特殊の疾病であって政令で定めるものによる障害の程度が厚生労働大臣が定める程度のもの

…わからない人、手をあ…げんでええわ。漢字が多くてすみません orz

要するに、疾患もちが障害者になるためには、

  1. 国が、「この病気にかかってたら障害者にしますよ」と政令で指定した病気にかかっていて、
  2. 国(厚生労働大臣)が「こんくらいひどかったら障害者ですよね」と指定した程度以上に病状が重たいこと

の2つの条件を両方満たさないといけない、ということです。
障害者基本法とエライ違いです。「社会的障壁」の「しゃ」の字もありません。

まず、①国の指定する病気にかかってないとそれだけでアウトというあたり、これまで疾患もちたちが嘆いてきた「谷間」がそっくりそのまま残っちゃっています。今後は、医療費の助成の分野だけじゃなくて、福祉サービスの分野でも、「障害者の指定を受けられる病気として指定してください!!」という運動を、患者会は続けていかなければならないかもしれません。

しかも、「上」でご紹介した高櫻さんの線維筋痛症は、平成24年7月末現在、どうも指定を受けられなさそうだ、と懸念されています。もしそうなれば、彼は今後も、1人で勝手に生きていかなければならないのです。

特定疾患にせよ、「障害者」にせよ、指定を受けられた病気は安堵し、受けられなかった病気はさらに国に対する要求と交渉とを強いられ、もともとない体力をどんどんすり減らされる。それを解消するための、「制度の谷間のない「障害」の範囲」だったのではなかったんでしょうか。

疾患もちたちはがっかりするわけですよ…ええ。

世の中では、「障害者総合支援法は、難病を新たに対象に加えたところ以外は全然よくなってないじゃないか!」みたいな言われ方をしています。つまり、逆に言うと「難病を加えた」点は「よくなった」と認識されているのです。たしかに、無福祉の状態から、少なくとも後退はしていません。ただ、基本合意が約束した、「制度の谷間のない「障害」の範囲」という目標は、残念ながら守られなかった、というべきでしょう。「障害者に難病を入れてくれ」とお願いしていたわけではないのですから。

むしろ、2つの要件によって、疾患もち達を余計に分断している、とさえ言えるわけです。見方によっては、障害者総合支援法は、基本合意が掲げる6つの検討項目のうち、「制度の谷間のない「障害」の範囲」についてより積極的に破ってしまっている…って、言いすぎ?

 

6 ひかくてき超深刻

そうはいっても、障害者総合支援法は、平成24年6月20日、参議院をあっさり通ってできあがってしまいました。あとは、政令で細かい条件を検討して、来年正式に施行(効力が発生する)ということになります。

これ、細かいことをきちんと理解している人が少ないために、「難病が障害者の対象に入った、良かったね!」と、どこへ行っても必ず言われます。でも、そうじゃない。
こんな入り方では、基本合意の趣旨をまっとうしているとは言えません。
骨格提言も無視しているんです。

さらに、政策の「理念」「思想」を定めただけのものとはいえ、障害者基本法が対象とする「障害者」と、障害者総合支援法でサービスの対象としようとする「障害者」の範囲もズレてしまっています。

もし、総合支援法でサービスの対象から外されてしまった疾患を持っている人が、福祉サービスを受けられないために社会に出られへんがな! ということになったら? 「あんたに福祉サービスはやらん」と言ってしまっている障害者総合福祉法そのものが、その人にとって社会的障壁になっている・・・なんてな。

今回のお話は、疾患もちを念頭に書いていますが、私が知らないだけで疾患もち以外にも「タニマ―」がいるかもしれません。なにせ、『制度の谷間に落ち込んでいる人』ですから、そう簡単に把握できないのです。社会モデルの定義にしておけば、そんなうっかり見落としも防げたはずなのに。

逆に、ここで放っておくと、より一層「谷間」が深くて暗いものになっていきます。
障害者総合支援法が成立した時の報道、声明等の中で、この点について最もよく指摘されているのが、日本弁護士連合会が出した、会長声明です。

ここでは、

『障がいの範囲についても、障害者の権利に関する条約が求めている「障がいが個人の属性のみではなく社会的障壁によって生じる」とする社会モデルの考え方が採用されず、そのために新たな制度の谷間を生む内容となっている。』(原文はこちら

と指摘されています。まったくもって、そのとおりです。

障害者総合支援法は成立してしまいましたが、国がどういう病気を「障害者」に入れるよう指定するのか、そのための政令はこれから決まります。疾患もちたちの障害者総合支援法をめぐる闘いは延長戦に突入しており、予断を許さない状況です。

 

7 Nothing about タニマ―, without タニマ―

さて、ワタシ的に意外とけっこう苦労したこのお話ですが、「ああ、これ新聞で読んだことあるある。」という人はどれくらいいるでしょうか。
おそらく、ほとんどいないと思います。比較的目を皿のようにしてそういう記事を探している私でも、めったに見たことありませんから、そんな記事。

そもそも、障害者自立支援法(障害者総合支援法)自体が、あまりニュースバリューのない法律と世間に思われていることに輪をかけて、タニマ―のことなど、その存在することからして表に出てきません。たまに障害者総合支援法成立の記事の中で、「『障害者』の中に『難病』が入ったこと以外は問題の多い法律である。」と言われる程度です。

「疾患もち」の現実は、病気を乗り越えて幸せをつかみ取る、といった、ドラマや小説でよく見るような感動のサクセスストーリーではありません。

本当に必要なのは、すべての疾患もちたちが、等しく幸せをつかみ取るための社会保障制度、そのための「正しい現状認識」をより多くの人々と共有することです。ところが、疾患1つひとつの患者数は少ないですし、全体的に大々的な運動を作り上げられるほどの体力がありません。疾患もちの声は、従来の障害者以上に世の中に届きにくいのです。

ぼんやり生きていると、この番外編の「真の最終回」となる政令ができあがる話なんて、ちょっと新聞読んでるくらいでは絶対に目にしないでしょう。そこが、「ご注目を!」ですんでいた障害者自立支援法違憲訴訟と違って非常に悩ましいところです。

ただ、「わたしのフクシ。」は、そんなタニマ―を応援するサイトですから、少なくともこのサイトの中では、私の連載を受けてあとに続いて発信し続ける者が必ず出てくるはずです。・・・出てこなかったら、また私ですか? ちゃいますよね~、副編集長♪

タニマ―たちは、人の力の及ばない「病気」という名の神のいたずらによって、ただでさえしんどい生活を送っています。たしかにそのしんどさは、福祉サービスがあったところで消えてなくなるわけではありません。しかし、せめて家事とか、外に出るときの付添とか、代わってやれることは代わってやりたいと思うのが人情ってもんでしょう。

「人」が作りだす法律や制度にひと工夫加えることで、タニマ―はタニマ―ではなくなります。健康な皆さんの関心と、知恵と、まなざしが、私たちタニマ―の生きる支えです。

…だいぶ障害者自立支援法違憲訴訟から脱線してきちゃいましたね。

難しいお話におつきあい下さり、ありがとうございました☆
なお、テストは2週間後ですので、ちゃんと復習しておくように(鬼)。

 

 

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