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Nothing about us, without us!

第二回: ふたいてんのけつい

 
1.国を訴えたくなるとき

 突然ですが、あなたは自分の住むこの『国』を訴えたいと思ったことはありますか?
 非常事態がない限り、『国』そのものを訴えて、自分が生活している基礎となる制度を止めてくれ、と言いたくなるときってそんなにないでしょう。人が、『人』や『会社』を訴えるだけでもよほどの事情がないとなかなかそうはなりません。
相手が『国』であれば、なおのことです。

 だけど、障害者たちは、2008年10月31日、どうしても国を訴えなければなりませんでした。しかも、どこかの誰かが1人で訴えたのではなく、最終的に全国14カ所の地方裁判所で、71人もの障害者たちが国に対して裁判を起こしました。

 そんな彼らが裁判所に訴えなければならなかった『よほどの事情』って、いったい何だったのでしょう。
 
 
2.2006年の災厄

 障害者自立支援法は、2006年4月1日に施行されました。
ちょうど私が法科大学院を卒業して、私も日本も初めて経験する第1回新司法試験に臨もうかというころ(落ちちゃったけどねっ☆)。あ、私のことはいい? ごめんごめん。

 そもそも、うちの国の法律上、「障害者」というものは、大きく3つにわかれています。「身体障害者」と、「知的障害者」と、「精神障害者」です。そして、それぞれ別々に、どんなとき、どんな手続きをとって、どんな福祉サービス(目が見えないので白杖を、歩けないので車いすを、家事をするのが困難なのでホームヘルパーをなどなど)を利用できるのか、決められていました。すると、「私、精神障害者だけど、身体障害者だと利用できるあの制度を利用したい!」と思っても、制度が違うので利用できない、ということがちょいちょいあるのです。

 また、それまで取られていた福祉制度は、実は当事者たちにとって利用しやすい反面、予算がハンパなく足りなくなっていました。制度そのものを維持できない、と、利用してる当事者が焦るほど足りなかったのです。

 そこで、この3種類の障害者につき、共通の福祉サービス制度を作ること、そして、多少使いづらくなっても、制度が破綻しないような予算でまわせる制度を、ということでできたのが、障害者自立支援法でした。いい法律ですね〜。

 し・か・し! この法律は、そんなメリットを吹っ飛ばすくらいの問題を抱えまくっていました。その一つ一つについて「なんでそうなったか」を説明していると、それだけで本が一つ書けてしまうので、ごくごく代表的な例を2つ上げてみましょうか。

【 例① 〜会社で働かせてほしかったら「会社利用料」を払えの巻〜 】
 私には、中程度の知的障害があります。健常者とまったく同じ条件で働くのが難しいので、作業所というところで働いていました。作業所というのは、障害者が、支援者の助けを借りながら働く場所です。給料は月1万円にもなりませんが、社会とつながっていることを実感できる、とても大切な場所です。

 ところが、障害者自立支援法に変わってから、作業所を利用するためにお金がかかるようになってしまいました。私の給料は8000円くらいなのに、毎月利用料として1500円も取られるのです。しかも、作業所の経営が急に苦しくなり、辞めていく人、辞めさせられる人が増えました。友達もいなくなるし、お金も取られるし、なんでこんなことになるのかわけがわかりません。

【 例② 〜郵便物を読んでほしかったら金を用意しろの巻〜 】
 私は視覚障害を持っています。目がまったく見えないのです。慣れている場所なら、白杖をついて目的地まで行けますが、知らないところへ行くときには、ガイドをしてくれるヘルパーさんの存在が不可欠です。また、私に届く郵便物は、全部が全部点字ではありませんので、読んでもらうためのヘルパーさんも必要です。

 ところが、障害者自立支援法になってから、まず、毎月のヘルパーさんを派遣してくれる時間数が半分になりました。さらに、時間数内でお願いしても、1割は利用料を払ってくださいと言われるようになりました。郵便物を読まないわけにはいかないので、ヘルパーさんを頼まないわけには行きません。その分、外出はどうしても自粛せざるを得ませんでした。それまで趣味で英会話を習っていましたが、ヘルパーさんを派遣してもらえないし、お金かかるしで月謝も払えなくなり、辞めてしまいました。

 こんな例が全国あちこちで起こり、福祉サービスを利用する障害者の大多数の生活に、大なり小なり悪影響が発生しました。あまりにも夢も希望もない制度になってしまったので、将来を悲観して「この子を残して死ねない」と、親子で心中するケースまで出てきました。
 確かに、冒頭説明した通りの狙いをもって、この法律は誕生しました。だけど、そういう狙い以上にあまりにも負の側面が強すぎて、障害者たちの悲壮感は、大変なものでした。

 なんでそんなメチャクチャなものが成立したか、不思議? そう? じゃ、聞くけど、「郵政民営化選挙」であなたはどこの党に入れましたか? 自民党じゃありませんか? 「聖域なき構造改革」とか、「痛みを伴う改革」みたいなスローガンに乗っかって、「よし、この人と痛みを分かちあって日本を再生しよう」とか思ってませんでしたか?(私は思ってもうたんよね〜。アホやね〜。) その裏でこんな法律が通ったことを、リアルタイムで知っていましたか?

 「勢い」って怖いねん。圧倒的多数で、勢いよく、全然議論を深めることなく、国民全員が催眠にかかってる間に、さくっと成立してしまったのですよ。

 なんとかしてこの法律を止めさせなければならない。一刻も早く止めないと、およそ障害者はこの国で自由に生きることができない。そんな強烈な危機感は、法律ができた瞬間から、もう「訴訟で何とかするしか・・・」という動きを生んだのです。まったく、生まれた瞬間から廃止に向けた動きがでる法律ってどんなんやねん。
 
 
3.『よほどの事情』〜『応益負担』という考え方

 目を閉じて、あなたの毎朝の出勤前の行動を想像してみましょう。
 まず、起きて、何をしますか? トイレに行きますよね。そしてシャワーを浴びて、朝ご飯を食べます。ダメですよ、朝ご飯は1日の元気の源ですから、ちゃんと食べてください。歯を磨いて、身だしなみを整えて家を出て、駅に向かって歩きましょう。
・・・あ、しまった。目を閉じたら読まれへんがな。ダメ!開けて開けて!ちゃんと読んで!

 さて、ここまでの間で、あなたはいくらお金を使いましたか? 食材費や、服装費、光熱費等はまぁ、かかりますわなぁ。でも、それだけですよね。多分、駅の改札を通る瞬間に初めて、『運賃』という名の費用が発生するはずです。

 しかし、障害者はそうはいきません。
 食事を作ってもらうところで居宅介護サービスを利用しますし、もし重度身体障害者であれば、目が覚めてから家を出るまで、トータルに介助を利用する必要があります。外へ出るときにガイドヘルパーさんの同行が必要な障害を持つ方もいらっしゃるでしょう。視覚障害者の方とかね。

 こういった、障害がなければ支払う必要のない、障害ゆえに必要となる日常生活動作を補助する介助を『利益』と捉えて、障害者本人に自己負担をしてもらう考え方を『応益負担』っていいます。『益』に『応じて』『負担する』ってこと。これが、障害者自立支援法が採用した考え方です。ちなみに、それまで取られていたのは『応能負担』。『能力(=収入)』に『応じて』『負担する』ということです。これなら、収入がなかったら負担なしということになります。

 では聞きます。障害者たちが日々利用しているこれらの介助は、障害者たちにとって『利益』ですか。障害がなければ一切、まったく、利用する必要のないこれらの介助は、お金を支払って購入しなければならない『利益』なのでしょうか。でも、彼らは、好きこのんでで介助を受けているのではありません。介助を受けずに生活する、という選択肢がまったくないのです。

 一番わかりやすい例は、さっきの【例①】です。あれは、「作業所で働けること」が、作業所労働者の『利益』であると考え、作業所の利用料金を支払わせることにしたのです。社会で働いているあなた。あなたが働けていることは、誰かに与えられた『利益』ですか? 月20万円の月給を受け取りたかったら、会社に4万円の利用料を払え・・・って、それなんの金やねーん!

 また、この『応益負担』は、メガトン級の矛盾をかかえていました。
 障害が重度であればあるほど、受ける介助サービスの量は多くなっていきますよね。ちょっとだけ歩行が困難とかなら、掃除の手伝いだけ来てもらえばすみますが、自力では寝たきりの方の場合、当然24時間ついていないとおトイレもできませんし。でも、障害が重度ということは、自ら収入を得ることが極めて難しいのです。つまり、全然お金が入ってこない人ほど、負担が重くなる仕組み、それが、『応益負担』という仕組みです。

 いろいろ問題のあった障害者自立支援法ですが、最も彼らの生活と尊厳を傷つけたのがこの、『応益負担』の考え方でした。障害者たちが生きるための最低限の動作を補助する介助・福祉サービスゆえ、「お金がないから使いません」というわけにはいきません。もしそんなことをすれば、生命維持すら危うい者もいました。そうでなくても、家から一歩も出ず、じっとしているよりほかない生活を強いられます。

 これが、この国が障害者に用意した、「健康で文化的な最低限度の生活(生存権)」でした。
 
 それだけではありません。介助を受けることを『受益』と捉えられてしまった彼らは、利用料を支払うたびに、自分に障害があることを呪うようになっていきました。もちろん、障害があることは彼らの責任ではありません。でも、応益負担の考え方は、彼らにとって「障害自己責任論」の象徴にしか感じられませんでした。

 自分に障害があるせいで、まるで罰金のようにお金を払わされる。
 お金を払うのがイヤなら、家族に代わりをお願いするしかない。
 おかあさん、ごめんなさい。私がいるせいで、お母さんの自由を奪って。

 ツッコミどころ満載の障害者自立支援法でしたが、それを全部拾うと収集がつかなくなる、論点は1つに絞る必要がある、と弁護団は判断しました。

 そこで、原告たちと弁護団が選んだのが、障害者たちの尊厳を最も傷つけ、かつほぼ全ての障害者に等しく悪影響を与えた『応益負担』という考え方だったのです。
 
 
4.終わりなき闘い、はじまる

 いくらひどい制度とはいえ、自分たちの生活のすみずみを形作る制度そのものを問う訴訟です。全国の注目も浴びましょうし、私生活を晒す必要に迫られたりもします。しかも、民事裁判は、普通の事件で平均約8ヶ月、医療過誤で21ヶ月かかると言われています。法律が憲法に違反してる、なんていう訴訟の場合、5年で利くかどうかわからないほどの長期戦。
 『原告になる』ということは、それらを途中で投げ出さない覚悟と勇気を問われる決断でした。まさに、『不退転の決意』をもって臨まれた方ばかりです。

 2008年10月31日、全国第一次提訴。その様子を見て、「私も原告にしてほしい」と駆けつけた障害者もいらっしゃいました。こうして、一人、また一人と原告は増え、提訴した裁判所も、増えていったのです。

 いったい何年かかるのかわからない。でも、このまま自分のしたいこともができず、障害自己責任論に押しつぶされそうになりながら、死ぬまでの待ち時間をすごしてなるものか。

 終わりの見えない、勇気ある闘いが、ここに始まりました。

つづく

 
 

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