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こころの生活。

等身大の言葉で

 

つい先日、高校時代のテニス部の後輩たちと数年ぶりに集まる機会がありました。
吉祥寺、井の頭公園にある緑に囲まれたベトナム料理のお店。
アジアの夜市のような雰囲気に、樹木が繁る公園の空気が、とても気持ちのいい空間を作っています。

ひとり、またひとりとお店に集まってくると、
知っている顔だけど、どこか大人になっている懐かしい仲間たち。

会っていなかった頃の話に耳を傾けながらしみじみしていると、ふと気づいた時には学生の頃の知っている顔つきになっていました。旧友って本当に不思議ですよね。

その中のひとりが昔の写真を携帯に残していて、数枚の写真を見せてくれました。
ぶっきらぼうに写っている昔の自分。
日付は2005年、病気が芽生えて人生の岐路を迎える半年ほど前の写真でした。

その瞬間、なにか生々しい嫌な気持ちが心を覆いました。
この数年の重みをズシリと感じたからです。

ここに書いていくのは、生きてきた26年間のうちの6年間の闘病記。

出逢ってきた数々の苦しさや辛さ。
そして病気になったからこそ知ることのできたこと。

線維筋痛症という病気と向き合いながら感じてきたことを、ありのままに、正直に、素直に言葉にしていこうと思っています。等身大の言葉で、これからも続いていく闘病を綴っていくつもりです。

わたしのフクシ。という場で綴っていくことがどんな意味を持つのかは分かりませんが、
元気印の自分に訪れた、思いもしなかった「不意打ち」は、
これを読んでくれているみなさんにだって訪れるかもしれない出来事です。

今、同じように苦しんでる人、
それを支えようとしている人、
いろんな立場で、いろんな感じ方があると思います。

文章を書こうと決めてからあらためて振り返った歳月は、まだまだ直視できるほど整理がついていなかったけれど、目を向ける大切さはありました。

見えないだけじゃなくて、なかなか見せられない当事者の悩み。
へ~って思うこと、うわって引くこともあると思うけれど、
あなたのそばにいる大切な人、身近な人、街中ですれちがう人、みんなそれぞれが見えない気持ちを抱えて生活しているんですよね。

ありのままの、心のままの文章が、
みなさんのそばにいる人の気持ちを想像するきっかけになってくれたらいいな。

見えなくても、目を向けるだけで温もりは伝わる。
みなさんの思いやりにはあったかい力があるんです。

夏の始まりを迎えた日本。
風をよびこむ町屋、音で涼む風鈴、緑のカーテンや打ち水など、節電の夏はすこし文化の香りがします。

考え事をしながら散歩に出ると、
見上げた夕方の空は、茜色に染まっていました。

すこし時間をおくと、うすい水色からコバルトブルー、そして夜の色への綺麗なグラデーション。
近所の公園の真ん中で、大好きな空に手を広げて、身体いっぱい伸びをしてきました。

生きているのも、生きていくのも、難しさや厳しさでいっぱい。
見えないことの方が多いけど、向き合えばきっと違った生き方が出来る。

そう背中を支えてくれた夕闇でした。
気持ちのいい夕涼み。外に出てみて良かったです。

ごーし

 

 

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高櫻 剛史

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