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こころの生活。

戸惑いの末に

 

全身の発疹、1秒もやんでくれない頭痛、布団から動けなくなるほどの倦怠感、ふらつきやめまい。なんとなくだった違和感が、日を追うごとに確かな症状になっていきました。原因が見つからないといっても確実に何かある。それは自分の感覚では明らかでした。

それでも、日々の生活は淡々と流れていきます。
この頃はまだ学生でしたから、勉強はしないといけないし、働かないと金銭的にも生活していくことは出来ないので、「何が起きてるんだろう?」という疑問はありつつも、健康な身体だっていうなら普通に生活できるさ。そう思うようにして色んなものを圧し殺しながら過ごしていた気がします。

楽しい仲間の中で笑い、影で一人もがいていました。
父に相談しても、友人に相談しても、ドクターに相談しても、何も変わらない。何も分からない。解ってもらえない。そうやってすこしづつ孤独感が心に積もり始め、自分からも心を閉ざすようになっていきました。

2006年から2008年まで、明らかな異常を抱えつつも僕には病名がありませんでした。
この頃に書いた自分の記録です。

 

痛みの記録(L)痛みの記録

 

あれから具合はどう?どんな症状がある?この薬はどうかな。

何をどうしたらいいのかお互いに分からないままの答えが見つからない通院を続けて、もうこれ以上は続けても意味がないだろうという段階まで来たときのことです。また新しい病院に行かないといけないかな。そんなことを思いながら診察室に入ると、主治医から1枚のメモを渡されました。
このメモが僕の闘病の原点になります。

メモに書かれていたのは診断名でした。

「Fibromyalgia Syndrome」

自分でも調べてごらん。
主治医に言われ、この日は多くを話さず診察室を出ました。
見当もついていなかった病名がポンっと目の前に差し出されて、狐につままれた心地でした。
メモを手に握りしめたまま病院をあとにし、そのあとの事は正直あまり覚えていません。

「Fibromyalgia Syndrome」
メモに走り書きされていたスペルを辞書で引くと、線維筋痛症(せんいきんつうしょう)という病名が出て来ました。みなさんは聞いたことがあるでしょうか。

「困ってるズ」という連載にも載せたことがありますが、すこしだけ詳しくみなさんにお伝えしたいと思っています。すこし難しい内容ですが、もしよかったら読んでみてください。

線維筋痛症というのは、検査では異常がみられないのに全身に痛みがでてしまう病気です。
触覚や知覚が脳神経上で痛みに変換されてしまい、皮膚・筋肉・骨・神経・内臓など、あらゆる場所に強い痛みを感じます。

異常がないのにどうして?と思うほど沢山の症状が出るんです。

痛みのほかにも、とれることのない倦怠感、身体の中を虫が這うようなムズムズした感覚や、触った感じ(人の肌を肌と認識できるような)五感のひとつである触覚が鈍くなったり、失うことだってあります。感覚が正常でなくなる病気、そう考えると分かりやすいかもしれませんね。
感覚的なことに以外にも、身体の動きをうまくコントロールできなくなったり、記憶障害や睡眠障害、ほかの病気特有の症状が出てしまうなど、医学的に説明がつかない症状もめずらしくありません。

膠原病やリマウチと似ていたり、それらを合併するケースもあります。命に関わる病気ではありませんが、「死んだほうがマシ」と表現されるほど過酷な痛みを抱えている人がいます。命に関わらないという事実が、救いなのか絶望なのか。それは症状の進行や痛みの度合にもよるので人それぞれだと思いますが、僕はまだ「救い」だと思えたことがありません。

そして、
面白いという表現が適切かは分かりませんが、痛みの性質が患者さんによって異なることや、ひとりひとりに色んな痛みが混在していることもこの疾患の特徴です。

たとえば(これは僕の。)
皮膚が火傷をしているみたいに痛い。
金属片が刺さっているみたいにゾクゾク、ジクジクする。
神経や筋肉、骨が万力ではさまれているような重い痛みがある。
突然、神経や腱が切れるような発作的な激痛が襲う。
あちこちの筋肉が肉離れを起こしているような痛みがある。
いつも高熱が出ているように重だるくて息苦しい。
心臓が痛い。

こんな風に、痛みの性質(表現)が全く異なるものが混在しています。
「胃潰瘍だったらシクシク痛む」のように、決まった表現がない不思議な疾患なんですね。
そして、そういう特殊な感覚を常に感じています。考えるだけで嫌気がさします。

患者だけでなく、その周りにいるすべての人にとって受け入れる事が難しいことだと分かるんじゃないかと思います。大切なのは、この病気の性質を理解し受け入れること、知ろうとすることです。どの立場にとっても、それが大きな課題になっていくと思いますし、それが治療の経過を大きく左右していきます。

社会的な認知も十分とはいえません。
日本国内での歴史はまだ浅く、研究班が立ち上がったのが2003年です。それ以降にも日本線維筋痛症学会が立ち上がり、診療ガイドラインが確立したなどの具体的な進展がありましたが、本当に数年前まで「病気」とさえ認められていませんでした。病気として認められていないということは保険診療が受けられないということ。冒頭にも書きましたが、この病気は検査に異常が出ないので、多くの人が詐病扱いを受けてきたさびしい歴史があります。患者はともかく、医師が知らない病気。にわかに信じがたいことですが、このことがすべてにおいて遅れをとる原因になってきました。

著名人の罹患や自殺、メディアに取り上げられるなど、少しずつ認知が広まり、線維筋痛症を知らないと答える医師は随分と減ったはずです。日本ではイメージが払拭され始めた段階ですが、世界的にみれば昔から知られていた病気です。結合織炎などの別の名前で呼ばれていた時代もあって、時間をかけて研究が進んできた疾患です。それでも原因の解明に至っていないのは残念ですが、前に進む足音だけは今でも聞こえています。

治療実績のある薬でも国内では認可の下りていないものがほとんどなので、海外から自分で輸入したり、他の病名をつけて出ている症状に対する投薬をしたり、適応外処方をするなど、手探りで懸命に治療を続けてきた人は沢山います。

目に見えない症状に目を向けてくれるかどうか、理解のある医師に出逢えるかどうか、その運ともいえそうなことが、この病気にはとても重要で、それは今でもそうは変わっていないんじゃないかと僕は思っています。

この数年の研究の末、線維筋痛症は病気と認められ、保険の範囲内になりました。輸入するしかなかった薬に認可がおりたり、現在も幾つかの製薬会社によって新薬の治験が重ねられています。

もちろん、原因が分からない以上、治療法を確立しようがないので、すべてが手探りであることに変わりありませんし、それでもそれぞれで快方への道をたぐりよせていくしかありません。原因が分からない病気であり、いつまで治療が続いていくか先の見えない難治性の高い疾患。そういう性質を踏まえた上で、今はまだ審議の段階ではあるものの、難病指定されることが切実に望まれています。

厚生労働省の調査研究班と日本線維筋痛症学会による調査に大きな差は見られず、影に隠れていたとは思えないほど多くの患者がいることが分かっています。その試算によると重症患者だけでも50万人はいるとされ、全体で200万人と推定されています。
確定診断が出来るマーカーなどの要素がないので、心身症やグレーゾーンに入っている人も含まれてしまうが故の大きな数字ですが、相当大きな数字であることに違いありません。
圧倒的に女性が多く、中年世代を中心にみられますが、小児や高齢の方もいます。

「死んだほうがマシ」
そう思っている人がその中に何人いるのか。

難しい言葉が沢山あったと思いますが、闘病は、最初にこういう文章を読むことから始まります。
ぴんとこない内容、数字、知らない単語ばかりが飛び込んできます。

苦しいなかで正しい情報を取り込んでいかないといけないし、それを理解し受け入れなければ、前には歩き出せません。

主治医から手渡された一枚のメモ。
この7年の中で一番希望を感じることの出来たひとときだったかもしれません。

自分に起きている災いの名前が分かった。
死ぬことはないんだと知ることができた。

診断が下りただけの些細なことだけど、それが大きな希望になることだってあります。これはたくさんの患者さんが口にしているエピソードだと思うけど、僕にとってもそうでした。この出来事が大きな活力になったのはよく覚えています。それからの時間は、かじりつくように専門書や文献、インターネットを見ていました。僕は幸いに検査した所をいれると4つの病院、2年という短い歳月で答えを得ることができましたが、今も主治医に出逢えずにいる人、痛みの元が分からず苦しんでいる人は沢山いらっしゃると思います。

もしそんな人がいたらどうか希望を捨てないでほしい。もしそんな人がそばにいたら、励ましてあげてほしい。きっといつか状況が変わる日は来るから。
目に見えなくても、目を向けてくれる人はいる。それがドクターであれ、身近な人であれ、そんな人が見つかれば生活はきっと変わっていくんだと思います。

どうか孤独にころされないで。

ごーし

 

 

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高櫻 剛史

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