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こころの生活。

番外編 「最近のこと ~ 空っぽの中に芽生え始めた自信」

 
 
線維筋痛症になったことで感じてきたもの。
痛みに打ちひしがれ、嘆き、わめき、泣き、時には強がり、笑い、前向きに立ち向かえたこともそう。それらを糧にしてこられたことが本当に沢山あります。

「今の自分でも何かの役に立ちたい」
わたしのフクシ。に関われたのは、そんな風に前向きでいられた時に児玉さんと出逢えたからです。メールをしたり、ときには最寄りの駅のカフェで話をしたり。児玉さんの聞き手としての包容力は、僕にとってすごく大きいものでした。本当にやりきれるか分からない僕を招き入れてくれたこともありがたかった。それが今に繋がっているんだと思います。

自分が今生きていることの存在意義。
言葉にすると堅っくるしいけれど、出来ない事と一緒に増えていく自分への劣等感や周囲への申し訳なさ。治るかも分からない、痛みと共生していかなければならない不透明な未来。それを振り払おうとする気持ちと、前向きな意思も含めて、最期に自分の中にあるエネルギーを絞りきってみよう。

そう思って始めた行動のひとつが、ここで書いている連載であり、配送の仕事です。
 
 
そしてもうひとつ。
ここには詳しく書けないけれど、挑戦していたことがあります。

また会おうって言っていた友人が自ら命を絶ち、自分自身もそういった時間を抱きながらも生き永らえてきた不条理というか、すんなりは整理できなかった時期を、生きるなら自分らしく命を使おう。そう思わせてくれた友人との再会。

数年にあった数々の出来事を、自分というフィルターにかけて導き出した、ひとつの武器といえるような答え。これでダメだったらしょうがない、そう思えるくらい絞り尽くそう。どんなに傷ついてもいい。そうやって腹をくくれたからこそ、立ち向かえた恋がありました。

周囲との兼ね合いもあるし、恥ずかしいのもあって詳しくは書けませんが、その恋が終わったのが1年ほど前です。
 
 
恋というよりは、自分の人生の存在意義として捉えていた大事な時間でもあります。
自分のすべてを注ぎ、挑戦し、笑っていたからこそ、ぼろっぼろに泣き崩れたあとには、すべてを静かに受け止めていました。どこかさっぱりとした気持ちでいたのを覚えています。

これだけ頑張ってもダメか…。この現実が一番きつかった。
痛みを抱えて生きていく理由が見い出せなくなって、強さを持てなくなりました。強さを持つ理由がないと思いました。

人生を看取った27歳の冬。医療に携わるものとして、命に対しては並々ならぬものがあるけれど、痛みの中に命の居場所がない。答えはそれしかありませんでした。
 
 
ちょうどその頃です。
何かあったらいつでも声かけてね、頑張れよ、お前なら大丈夫!そうやって見守ってくれていた友人たちから一斉に連絡がありました。

正直言えば、かけてくれる言葉の温かさとは裏腹に、実際には距離を感じていた人達でしたが、感じることが出来ていなかっただけで、実際には心配をしたり、気にかけてくれていたんだと思います。

自分の中で命と抗うことへの答えが出ていたのもあって、静かな日常をすごしていましたが、彼らはそんな僕に何かを感じたんだと思います。

一斉に電話がかかってきて、家を訪ねてくれた人もいました。玄関をあければ友人からの手紙がドアにかかっていたりと、身近だけど遠く感じていた友人たちが、全身で抱きとめようとしてくれた時期でもあります。

「病気の自分」でがんじがらめだった人生が、「自分」に戻れた。
全身から出血しているような途方もない痛みは絶えずやってくるけれど、自分が在るから存在しているものが痛みの他にも沢山ある。友人たちのあったかい気持ちが、フラットな気持ちに立ち還らせてくれた。自分がいることには意味がある。そう実感させてくれたし、それが腑に落ちました。彼らのおかげで、数年抱え続けた、命、生きることに対しての迷いが完全に消えて、「俺は生きる。」誰に対してでもそう言えるようになっていました。
 
 
この1年間取り組んできたのが、ここからです。
全力を出したが故に、ゼロになってしまった自分を信じる気持ち。やりきっても、絞り出しても、実らなかったことが自分に与えた影響は、悪い意味でも良い意味でも大きかったからです。

最近ずっと原稿を書けずにいたのは、過去をみることが何よりの重荷になっていたからです。
 
 
今までは、辛かった時間を書き綴ることで、気持ちを整理したり、人に伝えたり、何かを得ていたけれど、この1年間はどうしても過去を見返すことが出来ずにいました。
何度も何度もパソコンやノートに向かうけれど、文章になっていかない。その繰り返しでした。

見返す勇気も、言葉を紡ぐエネルギーも感じない。見いだせない。自分の中に何も感じなかったし、書けることがなかった。
 
 
けれど、生きていくにはこのままでいいはずがない。
それだけは分かっていました。
 
 
石橋を叩いて渡る、ではなく、壁があったらぶつかっていく。
進めなくてもぶつかる、ジャンプする。ただそれだけを意識してきました。
 
 
目に見えない病気だからこそ、この1年の僕は数年の中で一番元気に見えたはずです。
それくらい手当たり次第、壁を見つけたらぶつかりに行っていたから。がむしゃらというか、正直馬鹿じゃないのって思うくらい。

これをやったら倒れるからその手前でやめよう。
意識がとぶのはこんなとき。
調子がよくなるのは満月の日。
数年で見つけてきたひとつひとつの発見や自分のペースを完全に無視していました。

玄関を出るのも怖いのに、新幹線で大阪にいって親友の結婚式に出る。鎌倉の結婚式にも行きました。案の定倒れて式場に救急隊がやってくるという超大迷惑なことをした大ばか者ですが、理解しようといつも支えてくれている友人たちは、すぐさま笑い草にしてくれました。まわりにいてくれる友人たちの懸命なサポートのおかげもあって、沢山の無茶をしてこられたんです。
 
 
どうにか自信を取り戻したい。
今の自分のままで自信を持ちたい。

その一念で、9月から武蔵境という街のフリーペーパー制作にも加わっていました。
取材や撮影を通して形に成る紙面は、間違いなく自分の自信へ繋がる。旗印になる。
そう思って頑張った2ヶ月間。
思っていた以上にしんどくて仕方なかったけれど、やり遂げることが出来ました。これからの礎に成る挑戦だったと思っています。
 
 
パソコンやノートに向かうのは何回目だろう。
やっとデスクトップに貼ってある、連載原稿フォルダを開くことが出来ました。
やっと…、やっとです。
 
 
まとまりもなく、具体的なこともなく、とてつもなくつまらない文章だと思うけれど、この文章をきっかけにして、また原稿が書けるようになったらいいな。

そんな気持ちもふくめて今こうして書いています。
 
 
最近どうしているの?
様子だけでも聞かせて。

そう声をかけてくれた人たちの温もり、心から感謝しています。
支えてくれている友人や家族、そばにいるすべての人へ、大きなありがとう。
みなさんのおかげで、今の僕があります。
 
 
季節は冬至。第64候、及東生(なつかれくさしょうず)です。
柚子の香りや薬効で身体を清める禊の意味があったという柚子湯の日。

寒さの折、益々ご自愛ください。
皆さんと皆さんに繋がるすべての命が幸せでありますように。
良い御年を。

ごーし

 
 

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高櫻 剛史

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