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あたらしい風

地域とのかかわり ~「私の体験談」より~

 
今回と次回は、「私の体験談」からの記事をご紹介します。
 
地域とのかかわり ~「私の体験談」より~
(104号《2011年11月30日発行》より)

うちの息子S(小3、高機能自閉症)は、生後11か月から保育園に通っています。
といっても、市の保育園ではなく、私の職場の託児所でした。

初めての子でしたし、言葉がまだ出てなくて、落ち着きのない、よく泣くわが子を預けて仕事に行くのは、とても辛くて、毎朝こちらも半泣きで職場へ向かったものです。
同じ頃に生まれた同級生は上手にお話やママのまねっこをしているのに、うちのSはいつまでたっても言葉を話さないし、情緒不安定で夜は寝ないし、私の育て方が悪かったのかしら…。
いよいよおかしいと思って保育士さんに相談しても、「まだ言葉を溜めているだけかも。男の子だから」としか言ってくれません。

でもこの子はちょっと違うのかな?と思っていた頃、1歳半健診で多動と言葉の遅れを指摘され、発達検査の末、2歳児の「親子教室」に通うことになりました。
週に一回、教室に通うためには正社員では無理で、仕事をパートに切り替えました。
親子教室は、何とか必死に休まず皆勤で通いましたが、一年間でなんとなく障がい児の子どもを受け入れる心の準備ができたように思います。

普段仕事をしているとなかなか近所のママ友もできず、Sは多動でコミュニケーションもとりにくく、パニックもしょっちゅうで私も辛く、公園に行くのも時間をずらして行っていました。
でも、「やはり地域の保育園か幼稚園に通わせなければ」と思って、必死の園活の末、第8希望の地域の保育園に入れることになりました。

地域の保育園は、規模の小さい保育園でしたので、とてもアットホームでした。
教室もいつも同じ、先生も同じ、通ってくるお友達も同じということで、だいぶ落ち着いたように思います。
その頃はまだ診断が出ていませんでしたが、懇談会や参観などはできるだけ参加して、まわりの保護者に子供の特性をお伝えしました。
まわりのお友達や保護者にも恵まれ、私もいまだにママさんたちとはお付き合いしてもらっています。

行事ではいつも先生の抱っこで登場し走り回っていたのに、保育園の3年間で、だいぶ成長したS。
まわりのお友達もすっかりSの扱いが上手になっていました。
4歳の直前の診断を受け、私も仕事をしながら療育にも通い、すっかり「療育ママ」に(笑)。
しかし小学校に上がるとき、衝撃の出来事が…

「同じ小学校に一緒にあがるお友達がいない!」

せっかく地域の保育園に入れてもらったのに、たまたまこの年だけ同じ小学校に行くお友達が引越しなどで一人もいなかったのです。
これには私もSも大ショックでした。

この時ばかりはいろんな人に相談して、話も聞いてもらって、あれこれ考えて悩んで…
入学式の日は、Sも落ち着きがなく門の前で写真すら撮れませんでした。

初めての子で学校のこともよくわからないし、とりあえずクラス委員になって顔見知りを作ることにしました。
そして懇談会ではSについてのプリントを作成し配布。

見た目からは障がいがわかりにくいので、まわりのお子さんや保護者の方に、何か問題が起こる前にお伝えしました。(本人のプライバシーもあるので診断名は載せず、言葉が遅れている、とかのニュアンスで)
これは3年生になった今年も続けています。(来年はどうするかは、まだ未定です。)

うちの校区では集団登校をしていますが、入学後一週間ほどで集団登校ができなくなりました。
子供会のほうには特に障がいがあることは伝えていませんが、あおぞら学級に入っているし、集団登校に参加するときは集合場所に私も一緒に行ったりするので、自然にS くんは集団登校が苦手なのかな?という雰囲気で皆さんみてくれているように思います。

高学年になったら、また今と違う悩みが出てくると思います。
もっと子供が小さいうちにママ友をいっぱい作っておけば良かった、小規模の保育園じゃなく同級生の多い幼稚園にいれれば良かった、などなど振り返れば夢みたいな「すればよかった」こともたくさんあります。

でもこれからもSがこの地域で成長していくのだから、少しでも居心地のいいものにしたいものです。
 
 
 

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