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あたらしい風

どうしよう!?知りたい!教えて! ~ 兄弟・姉妹 ~ (第1回)

 
「あたらしい風の会」さんには、「兄弟・姉妹問題」のについての質問や相談が多く寄せられるそうです。今回は会員さんから寄せられた手記を幾つかご紹介します。
 
 
どうしよう!?知りたい!教えて! ~ 兄弟・姉妹 ~ (第1回)
(136号《2014年11月19日発行》より)

高3男子 お母さんの手記

息子のひとつ年下の娘は、幼い頃は兄にくっついて大きな顔で「E福祉型児童発達支援センター」で一緒に遊んでいました。

娘が年中になる年に私の都合で兄弟姉妹を近くの公立幼稚園に入れました。

息子は一年だけですが、地域の幼稚園に入れた方が同学年の子や保護者に知ってもらえるので良い、という周りの意見に従いました。

確かに息子の学年のみならず娘の友達や保護者に、その障がいを知ってもらえました。

それが良かったのか悪かったのかは一概に言えませんが、小学生になっても息子の障害についていちいち説明することは少なくなりました。
 
 
娘は早生まれで学年では背が小さく、川崎病既往症児なので病気に負けないように兄弟で水泳やボーイスカウト活動に頑張り次第に気の強さが出てきました。

3~4年生頃に兄が支援学級だからなのか、至近距離から顔にボールを投げつけて、しつこくいじめてくる女の子もいたということを娘の友達のお母さんから聞きましたが、私にはなにひとつ言わず、我慢していたのか言っても仕方ないとおもっていたのか・・・

私は親として幼稚園や小学校・中学校で起こっていることを知りたいので、パートもせず極力クラス委員や実行委員を引き受けてきました。

それも良かったのか悪かったのかわかりませんが、できるだけ子どもたちの傍にいてやりたいと思っています。
 
 
中学校に入って2つの校区から生徒が集まると、兄のことを知らない友達が、兄が学習発表会の校内事前発表を講堂でした時に先生がマイクで名前を言ったので、「もしかしてお兄さん?」「支援学級なん?」「治るの?」などと口々に言われて好奇の目にさらされたことに、怒りと情けなさとで帰宅しても怒っていました。

もう少し先生が配慮してくれればよかったかと思います。

娘は中学時代にはウイルス性の病気と原因不明の席がとまらない病気で入院を2回しましたが、高校に入ってからは休まず元気に登校しています。

でも学校には障がいを持っている兄がいることを(父もですが)誰にも知られたくないようです。

兄についての記事を書いて欲しいと言っても、「書くこと無い」とあっさり断り、自分から「お兄ちゃん」とは絶対言わないで、名前で呼んでいます。

兄や父に対して批判的で、自分というものをしっかり持たなければならないと頑張っているようですが、まだ兄に対しても素直になれないところがあるようです。
 
 

お母さんの手記 ~ 兄:大学生、弟K君:支援学校高等部在籍 ~

兄は現在、大学生で20歳です。

小学生の頃は子ども会のソフトボールに入っていて、試合の時など連れて観に行く機会が多く、その頃(M園、医療型児童発達支援センター時代)のKは多動で、水道で遊んだり、裸になって運動場を走り回ったりしていて、かなりの有名人でしたが、友達はみんなKのやる事を面白がり、とても可愛がってくれたので、兄は嫌な思いをすることはなかったようです。

中学も地元なのでKの事を説明する必要もなく過ごしたようです。

高校は同じ中学の子が一人しかいなく、しかも女子だったので、誰もKの事を知る人がいなかったので、信頼できる友達にだけKの事を話したそうです。

高校ぐらいになると自然と友達も選ぶようになり、自ら嫌な思いをしないようにできたのでしょう。

父が、兄にはKの事を背負わせたくないといつも言っていて、極力Kの世話をさせなかったのですが、兄は親を見ていて大変さがわかるようで、親にだけ負担をかけさせるのではなく、自分もKの事を助けていかなあかんと思ってくれているようです。

どのようにすればいいのか具体的なことはまだわからないようですが。

兄とKは歳が離れているので、一人っ子の期間が長かったし、小学校高学年から中学校までは野球や勉強に親は兄にかかりきりになっていて、どちらかと言うと、Kよりも手をかけた感じなので、寂しい思いはしなかったようです。
 
 
 

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