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ノートの端っこ

7月15日

 
「お久しぶりです」。Fさんは、約束の時間に少し遅れた私を笑顔で迎えてくれた。約1年ぶりの再会だった。

Fさんは重度の聴覚障害がある。服用した薬の副作用で、2歳のころから聴力が徐々に低下した。補聴器を付けて生活していたが、聞き取りづらいことも多く、相手の唇の動きを見て、言葉を読み取った。2005年、人工内耳(聴覚神経に電気的刺激を与え、音を聞くことができるようにする機械)を装着して以降は、音を聞く力が格段に上がった。騒音や雑音が多い場所でなければ、ほとんど支障なく会話できる。

知り合ったのは、難聴について理解を広めよういうFさんの活動がきっかけだった。でもその時、取材以上に印象に残ったのが、ご主人・Gさんとのエピソードだった。ずっと、心に残っていた。もう一度話を聞きたくて、再訪した。

Gさんとの出会いは21歳のころだった。初対面の時に聞こえないこと、これからさらに聞こえなくなることを伝えた。以前交際していた人と、そのことで関係がぎくしゃくした経験があったからだ。

「たいしたことはないよ。会話はできているし、ネックにならない」。Gさんは意に介さず、冗談を次々と飛ばした。明るい人柄に惹かれた。「明日もどこかで話そうか」。その日から毎日会った。1週間後にプロポーズを受け、半年後に結婚した。

「自分が耳の代わりになるから」。そう言って、気遣いを欠かさなかった。聞こえづらい時は、手の平に字を書いてくれた。当時は字幕付きのテレビ番組が少なかったから、レンタルビデオ店で洋画を借りた。一緒に楽しめることを探してくれた。子育てでも、夜泣きに気付かないFさんのため毎晩起きて、あやしてくれた。

32歳のころに、Gさんの夢だった喫茶店を開いた。客からの声かけに答えるのが難しいFさんはもっぱら「裏方」。それでも、一緒に過ごす時間が、Gさんの存在が、生き甲斐だった。「死ぬときは、飛行機事故で一緒がいいな」。そんなことを冗談交じりに言うと、Gさんは「お前よりも、俺は10分でもいいから早く死にたいよ」と笑顔で返した。

突然だった。42歳のころ、Gさんは体調を崩した。心臓の病気だった。検査入院を求められたが、仕事も忙しく、伸ばし伸ばしになった。2年後に急変。特発性拡張型心筋症だった。8カ月後に退院したが、体調は悪化し続ける。階段を上がるだけでも激しく息切れし、ベッドで休む時間が増えた。

Gさんが48歳の夏。Fさんが喫茶店で働いていると、電話があった。「すぐ来てくれ」。帰宅すると、真っ青な顔でベッドに横たわっていた。入院数日後、近親者を呼ぶよう求められた。集まった人がベッドを囲み、手を握った。

一人一人に「顔をみせて」と言い、「みんな仲良く!」と繰り返した。Fさんに「店はやめていいからな」と声をかけた。聞こえないFさんが、店を切り盛りする苦労を最後まで気遣った。

Fさんは長く、「雲の上に乗っている」ような感覚の日々が続いた。「あの世」が知りたくて、図書館から借りた関連書を約100冊読んだ。早く会いたかった。未練は何もなかった。

それでも、店は死後10日で再開した。遺品整理中、Gさんが療養中にメニュー案を書きためたノートを見つけ、「つぶしちゃいけない」と感じたからだ。

吹っ切れたわけではない。厨房でも泣いてばかりいた。見かねた子どもは「自分ばかり悲しんでいると思って。僕たちだって悲しいんだ」。周りが見えていなかった。

その後いったん閉店したが、子どもの助言もあって「難聴者が集うカフェ」として再オープン。3年前まで、多くの難聴者の憩いの場になった。難聴者が集う卓球クラブや、難聴者団体の活動にも、参加するようになった。仲間に囲まれ、試合やイベントに忙しくなるその一時は、「忘れる」ことができた。コミュニケーションに不安を持つ当事者のため、行政や企業などにも積極的に働きかける活動も進め、サポート態勢を整備してきた。当事者代表として、人前で障害について講演することもある。

「主人がいたら、きっとこんなことしていなかったでしょうね」。心の空洞が完全にふさがることは、ない。でも、その穴を埋めようと、積極的に活動したことで、世界が広がった。「人生は、動くと変わる」と思えるようになった。喪失が、新しい出会いと、きっかけを生んだ。

苦しいとき、あるいは大切な、愛する人を失った時、どう受け止めるのか。Fさんを訪ねたのは、答えの出ないそんな命題に、触れたかったからだ。当たり前だけど、話を聞いただけで見つかるわけがない。でも、ひとつだけ――Fさんは喪失を抱えて生き、日常を送り続けてきた。それが今につながり、多くの難聴者を支える力も生んだ。その事実に、私は何らかの「鍵」を感じていた。

「それにしても…記念日だったのに、お別れの日にするなんてねえ」。Fさんは今も薬指にリングがはまる左手を口に添え、笑った。命日は、7月15日。初めて会った日だった。
 
 

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蒔田備憲

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