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ノートの端っこ

他人事

 
 私の顔を見ると、ベッドに横たわっていたLさんは上体を起こし、笑顔で迎えてくれた。「ああ、蒔田さん。わざわざすみません」。がっちりとして日焼けした数カ月前の姿から比べ、頬はこけ筋肉も目に見えて落ちていた。視界には、歩行器があった。笑顔で返したつもりだったけれど、ほぼ間違いなく、引きつっていた。

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 Lさんと初めて話をしたのは、約2年前。約40年間、有明海で漁師として、公共事業による漁業被害を、また、海洋環境の改善を訴える「代表者」として活動していた。前任の担当者から「引き継ぎ」を受けた形で紹介を受け、対面・電話で何度も、取材に協力いただいていた。

 昨年の秋頃だった。普段ならすぐに反応してくれた携帯電話が、不通になることが続いた。忙しいのだろうと取材を見送っていたが、別の知人から、「Lさんは体調を崩している」と聞かされた。

 Lさんは60歳近い。しかし、貝類やカニ漁という「本業」だけでなく、不漁の時は「畑違い」の農業のアルバイトもこなした。漁業被害を訴える集会にも必ず参加するオピニオンリーダーのような存在で、休む日なく働いた。それもあってか、年齢よりずっと若々しく見えたけれど、「年齢相応なのかな」と深く考えなかった。

 後日、携帯がつながった時、県外の病院に入院中と聞き、慌てて駆けつけた。

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 ベッドに座るLさんは、首にコルセットを巻いていた。下半身を不自由そうにして体を起こしていたから「神経系の病気だろうか」と想像をしながら、「手術をしたのですか」と尋ねた。Lさんは普段と変わらない、笑顔のままで病名を教えてくれた。取材をしたこともある、命に直接は関わらないが、運動機能に大きな障害をもたらす難病だった。

 重い症状だとはイメージしていたけれど、「難病」とは考えていなかった。「まさか」という言葉は、のど元まで出かけた。

 それまで少なくとも50人以上の患者に取材してきた。でもそれは「患者取材」という前提があってのもの。いつ誰が発症するから分からないとはいえ、外見では分からず病気を抱えながら日常生活を送っているとはいえ、取材にとどまらず交友関係を持っているとはいえ、常に「難病患者との対話」という視点で、その人と向き合っていた。

 しかし、そうした「取材」と全く切り離したところで突きつけられた時、簡単には割り切ることができなかった。動揺し、焦った。自分がどんな表情をしているのか、怖くなった。何を言おう、と逡巡しながら出たのは、「取材したことがあるので、知っています。ある程度、分かります」という言い訳のような言葉だった。

 Lさんは「え!知っているんですか」と驚き、「やっぱりいろんな取材をされているんですね」と表情を緩めた。私はその病気を含めて、難病の取材を続けていることを説明したり、相談機関や同じ病気の人たちの紹介をしたりした。

 このとき、Lさんは発症の経緯から現状、今後のことまで詳しく話をしてくれた。
 
 倒れるまで数年来、体の異常を感じながら、耐えていたこと。漁業に戻れなくなる、あるいは歩けなくなることへの不安から、何日も眠れない夜を過ごしたこと。不漁に苦しむ海の改善に取り組めない歯がゆさ…。「特ダネ」として大きな記事を書くだけの話を十分に聞かせてもらったが、私は病気のことを記事にするつもりはなかった。

 落ち着いて話している様子だったが、Lさんがこの病気をどう引き受けて、今後を過ごそうと考えているのか、まだ分からなかったし、それを見極めていることもできなかった。

 今のままでは、Lさんの本当の思いを記事に込めることができないような気がして、書く自信もなかった。

 心が動いたのは、今春、退院後に初めて再会した時だ。

 右手に杖を携えたLさんは杖を使って、ゆっくりとでも確実に、足を進めていた。「最初は不安でしたけれど、今は慣れましたよ」。さらりと笑顔で語っていたが、積み重ねた努力は、想像に難くなかった。病院から課された以上の訓練を独自に毎日、重ねていたという。

 どうしてそんなに頑張ることが出来たのだろう――。歩くのさえ難しいと言われ、「地面で立っているよりも落ち着く」という船で漁をすることも絶望的な状況なのに。思うまま疑問をぶつけた。

 Lさんは一瞬下を向いて目をつぶり、「それはつらかったですよ……。不安で眠れない日もありました。でもね、なんででしょうね」。数秒の沈黙後、「やっぱりね、海への思いですよ」。仕事から離れ、肌は白く、身体も少し小さくなったけれど、変わらぬ思いに体が震え、鳥肌が立った。

 「海への思い」だけで「克服」できる程、単純な事情でないだろう。それでも、そう言葉にできること、「今」に目を向けることができるLさんの力に、体の奥の方から欲求がわき上がるのを感じた。「Lさんのことを伝えたい」。ためらいがないわけではなかったが、「書かせて下さい」と頼み、承諾してもらった。

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 Lさんには「病気、障害と向き合う」ことを改めて教えてもらった。私には到底想像でききれないほど抱えた苦労や悩み、不安を持っているだろう。今もそれは消えてないと思う。それでも、病気や障害のある「体」を「自分の病気だから、仕方ないですよ」と受け止め、海への目標に前を向こうとする態度に、ただ頭が下がった。

 同時に、私自身の「甘さ」を改めて痛感した。病気になる、障害を抱えるということはどれだけ理屈で「誰でもなり得る」と考えいても、簡単に割り切ることはできないこと。私自身、どこかに、まだ、「他人事」にしていた部分があった、ということ。Lさんの発症は、その気付きを与えてくれもした。

 「漁に出ることは、諦めていませんよ」。柔らかな笑顔でまっすぐな視線で、Lさんは語った。私も、Lさんが再び海に出る姿を取材する日がきっと来る、と願い、信じている。
 
 

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蒔田備憲

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