ごあいさつ 『わたし』のはなし 『フクシ』のはなし 見えない障害バッジ みんなのひろば 編集室

ノートの端っこ

番外編:実名掲載と被取材負担について~連載を通じて考えたこと

 
犯罪・事故被害者への取材のあり方や、その実名・匿名記載が話題になっています。今回発端となっその問題自体には触れるつもりはないのだけれど、私が「難病カルテ」という連載を通じて、考えていた名前や被取材負担のことについて、少しだけ書こうと思います。これまでの「ノートの端っこ」とまったく主旨が違うけれど、おつきあいください。

今回の連載には、1月20日掲載まで64人の患者が登場しています。このうち7人を除く約9割の方は実名で、顔写真もほぼ同じ割合で掲載させてもらっていました。積極的に出してくれた人、説得の上で許可してくれた人、その色合いは様々です。

実名・顔出しについて、連載当初からこだわりはありました。

一つは、「難病」と聞くだけで依然、偏見を抱く人がいることへの無理解を解消し「病気を持って暮らす」ことが、後ろめたいことではないということを、新聞記事という場を通じて、病気を抱えている人に訴えかけたい、という思い込めていました。顔も名前も隠すことなく、公の場に出ていい、ということをその患者さんに託した、とも言えます。

また、難病患者さんの中には、外見からはその症状が分からなかったりするため、周囲から理解、受けるべき配慮が得られなかったりする。写真を付けることで、「普通」に見えている人が抱えている状況をできるかぎり伝えたい、という意図がありました。

その一方で、必ずというわけではないけれど、それまで取材を受けたことがない患者さんには特に、冒頭、「取材を受けて、記事に載ること自体は、○×さんのメリットになることはほとんどないと思います。むしろ、顔や名前が広がってしまうデメリットの方が強いかもしれません」という説明をするようにしていました。

例えば、その患者さんが「有名になりたい」とか「新聞に出たい」「名前で商売やって稼ぎたい」という欲求を持っていたら別かもしれないけど、連載取材の範囲では、そうした方はいなかったし、それ以外の人にとって、日常生活に益がある、とは私にはとてもじゃないけれど説明できなかったのです。あえて言うのなら、結果的にその人の信頼性を新聞が一定「担保」したという側面があるかもしれませんが…。

それでもなお、実名・顔出しについて理解を求めたのは、先述の通りです。ある意味、矢面に立たせてしまうことを覚悟の上で、それでも、そのことによって、記事を読んだ患者さんに、病気のことを知らない読者の方に、つながることを期待してできる限りこの方針を突き通しました。

この負担を背負ってくれてなお、出てくれた患者さんには、本当に感謝していますし、それを課してしまった私の責任というか、罪とも言えるその行為は、一生、私が抱え続けなければならないものだと思っています。

断られたケースはどうだったか。匿名で、という希望があっても、まず、私はまず、なぜ実名が必要なのかを説明しました。それでも、さまざまな事情から難色を示され、それを受け入れたのが、匿名で掲載した方々です。実名できないから拒否、という選択肢は取らなかったのは、それよりもその人の生活ぶりを伝えることを優先したからです。

実名、というのは、言うまでもないけれど、非常に多くの情報を持っています。30代の男性Aさんと書くより、「蒔田備憲」と書いた方が、蒔田を知っている人も、そうでない人も、得られる情報量ははるかに増えるし、信頼度は高まります。だから新聞記者は、できるだけ個人名は盛り込みたいと考え、そのための取材に走ります。

一方で、個人名よりも、伝えるべき情報が優先することもあります。たとえば匿名の情報提供者による内部情報などもその一つでしょう。つまり、情報の質と量を高めるため、できる限り個人名を出したいと考えるけれど、それがすべてではなくて、状況に応じて、ということなのだと思います。

今回問題になっていた被害者への集団加熱取材への懸念や、政治家、企業・団体の責任ある役職の人への向き合い方については、また別の視点が有ると思いますが、ここでは詳細を述べることは控えておきます。

重要だと考えているのは、実名・顔出しについて、取材を受けることや記事が載ることへのリスクと負担について、被取材者にどれだけ説明できるのか、ということです。

これまで、私自身がそれを十分に尽くせてきたというつもりはありません。非礼を重ねたり、こうしたルールから外れた取材をしてきたことがあるのも事実です。それを正当化するつもりはありません。

最近、報道の在り方が問題視されるのは、これまでの大手メディア報道が積み重ねてきた行動が土台にあることは間違いないでしょう。その反省を踏まえて、非常に過度な負担を強いる取材という行為について、できる限りの協力をしてもらえるよう、説明、行動していかなければならないと改めて考えています。
 
 

カテゴリー: ノートの端っこ   パーマリンク
蒔田備憲

>> お問い合わせはこちら copyright (C) 2011 わたしのフクシ。編集部