こんにちは。編集部のしろくまです。
今日は、中学生のMIHOさんが届けてくれた作文をご紹介です。
この作文、こんな↓お問い合わせから始まったんですよ。
【題名】
人権作文について。
【本文】
はじめまして。中学3年生のMIHOです。
夏休み中に書く人権作文に、わたしのフクシ。さんの取り組みについて書かせていただきたく、メールをさせていただきました。
私の父は、十数年前にかかった突発性難聴の後遺症で、片耳があまり聞こえません。見えないものなのでなかなか理解されないようです。
今年の夏は、そんな父のことを中心に「目に見えないことの大切さ」というテーマで人権作文を書く事に決めました。
目に見えない障害についてもっと詳しく知るために、色々調べていたところ、わたしのフクシ。さんのページにたどり着きました。バッジを作ろうという取り組みに感動し、ぜひこの取り組みを作文で書きたいと思いました。
もしよろしければ、わたしのフクシ。さんの取り組みを、作文中に、原稿用紙10行程度の文で書かせていただけないでしょうか?
そしてできあがった作文を、MIHOさんが送ってくれました。
中学3年生。受験も終わり、先週の土曜日が卒業式だったそうです。
目に見えないことの大切さ
手や足が不自由な人。目が不自由な人。世の中には、様々な障害を持った人がたくさんいる。
しかし、今挙げたものは「目に見える」障害だと思う。そういう方を見かけたら、こちらもすぐに目で理解できるし、気遣いながら接することができる。
では、目には見えないけれど、何かを抱えている人たちはどうなのだろうか。こちらがすぐに理解して、その人を思いやって接するということはできるのだろうか。きっとできないんじゃないかと思う。
私の父は、右側の耳があまり聞こえない。私が生まれたばかりの頃に、突発性難聴にかかったのだ。日常生活に支障はないぐらいに回復したものの、まだその後遺症で、右耳で四六時中耳鳴りがしているらしい。私は家族で、聞き取りづらいということを知っているから、父が会話をしやすいように考えながら接することができる。でも、一歩外に出れば、みんな父の耳のことなんて知らない。いたって普通の人に見えるだろう。
このように、私たちの周りには、気づかないだけで、実は色々なことを抱えている人がたくさんいるのではないかと思う。目に見えないからという理由で、なかなか理解してもらえないこともきっと多いはずだ。そのために辛い思いをしたり、他の「目に見える」障害をもつ人と差を感じたりすると思う。
そんな「見えない障害」をテーマに、ネットでこんな取り組みが行われていた。
平成二十二年の秋頃から、ツイッター上で「バッジをつけて、見えない障害を知ってもらおう」という声が上がり始めた。その声はだんだんと大きくなっていき、ついに翌年の二月、「見えない障害バッジ」の試作品が出来上がった。「わたしのフクシ。」というサイトに行けば申し込みができ、バッジを手に入れることができる。このプロジェクトを立ち上げた人も、目に見えなくて、なかなか理解されない難病を抱えた二人だそうだ。私は、ネットで上がった小さな声が、だんだんと広まって、やがて実現していくというのはすごいと思った。
このように、目に見えない障害も、遠慮せず伝えられる社会になっていくのがとても大切だと、私は考える。目に見える障害と見えない障害、この二つの差をできる限り無くしていく。そして、もっと自分の障害について声を上げられる社会になっていってほしいと思う。
あなたの周りの人も、普通に見えて、実は何かを抱えているかもしれない。言ってもどうせ理解されないだろうと、打ち明けることができない人もいるかもしれない。そういう人たちのために、見えない障害への理解を、まずは周りの私たちが深めていくことが大事だと思う。
今回この作文を書くにあたって、見えない障害についての理解を深めることができたし、もっと知りたいと思うようになった。
私は、今よりさらに、見えない障害について知って、もっと父がリラックスして過ごせる家にしていきたい。
そして、見える障害も見えない障害も、扱いに差が出るようなことが無い、どちらも大切にされる社会になっていってほしいと、心から願う。
届いた日:2013年8月5日 19:07
匿名・MIHO